大山をバックに桝水原にて
回想 秋の大山を訪ねて   1967年11月3日〜4日
 

大山 6合目付近より
 大山といえば現在、砂山化し稜線は崩壊が進み立ち入ることができない山になっている。非常に残念なことだ。頂上付近は木道になっているとのことも心痛む現象だ。我々がこの大山を縦走したのは、昭和42年(1967)のことで35年前のことだ。

 11月2日、国鉄京都駅を21時59分の下関行き普通列車で出発。夜行の普通列車など今は考えれないかも知れないが、当時はこれが普通だった。

 11月3日、朝7時10分大山口駅に到着。バスで大山寺に向かう。パーティーは、日頃のハイキング仲間で男性4名と女性3名の7名だった。当初予定では、すぐ大山の縦走にかかる予定だったが何かの状況で、今日は桝水原高原の散策をすることになった。
 大山はススキや紅葉が格別美しかったことを記憶している。リフトに乗ったりして高原で楽しいひと時を過ごした。その日の宿泊は、蓮浄院だった。

 蓮浄院は志賀直哉が「暗夜行路」取材の宿として有名なところだ。文豪の気分をあじわったつもりで、一夜を過ごした。

 翌日、11月4日いよいよ大山の縦走にかかる。蓮浄院を出発して、夏道登山道を上がる。登山道は小石でゴロゴロだったような記憶をしている。昨夜来の冷え込みで、霜柱を踏んで登ったような記憶もある。

夏道登山道を登る

6合目付近で
 紅葉のブナ林を抜けると、6合目になる。このあたりから展望が開けてくる。2時間半で大山の三角点・弥山(みせん)に到着。標高は1711mだ。崩壊が進み以前は1713mだそうで、2m低くなった。現在の標高は1709mで、30年ほどの間より更に2m低くなったことになる。山頂でしばらく大山のすばらしい景色を楽しんだ。

大山山頂にて

大山山頂にて

大山山頂にて

大山山頂にて
 これからいよいよ大山の縦走だ。現在は崩壊のため通行禁止になっているが、当時はまだ北壁と南壁でできたナイフブリッジが縦走路になっていた。

 縦走路は、人の幅程度で足場は弱くすぐ崩れる砂の道のようだったと記憶している。ところどころは風にでもふけれれば、谷底に転落もありうるようなコースで、圧巻だ。1時間ほどで、大山の最高峰剣ヶ峰(1731m)に到着。しばらく行くと天狗峰に到着。

剣ヶ峰にて

縦走路のナイフブリッジにて
 ここから、北壁と東壁の稜線を象ヶ鼻に着く。左に折れて三鈷峰方向に行くとユートピアに着く。砂スベリを滑りながら元谷に下りる。

ユートピアで休憩
 
砂スベリ
 元谷に下りると、大山の北壁の吊尾根が頭上に見えすばらしい光景だ。ここから見る大山は、穂高の岳沢のようで上高地からの景色に似ている。

 米子から見る伯耆富士、松江から見る出雲富士のように、西側から眺めると富士に見える。しかし近づいて見ると、北壁・南壁・東壁がそそり立っており、桝水原から見る山容から予想できない。大山寺付近の紅葉も最高でしばらくこの景色に見とれていた。

元谷にて

大山寺近くで紅葉を楽しむ
 
 大山の縦走路は、我々も少し削ったかも知れないが、崩落が非常に激しくなっているとのことである。

 平成12年10月の鳥取西部地震によって被害を受け、大山登山は夏道登山道が弥山への登山道になっている。もちろん縦走路は通行禁止になっている。いずれにしろ、自然が破壊され悲しいことである。

 楽しかった大山を後に、米子発20時49分の京都行き普通列車で帰途に着いた。京都到着は、翌朝の11月5日のことだった。
□蓮浄院(鳥取県のホームページより)
  大山の蓮浄院 修復して「志賀直哉記念館」へ
  蓮浄院は、大山寺の支院の一つで、江戸時代中期に建てられたものです
  が、現在は住職がおらず、老朽化が進み、崩壊の危機にさらされていまし
  た。そこで、地元の大山町は、同院の敷地を大山寺から買い取って、「志賀
  直哉記念館」として整備することにしたのです。町の新年度予算に、用地
  買収費と設計費を計上。館のオープンは、2003年の秋を目指しています。
コース
11月2日 国鉄京都駅(21:59)=<下関行き普通>=
11月3日 =大山口駅(7:10)=<バス>=大山寺(7:50)〜桝水原高原散策〜蓮浄院 (泊)
11月4日 蓮浄院(9:00)〜大山山頂(11:30/12:30)〜<縦走>〜ユートピア(14:30)〜大山寺(16:30)
       =国鉄米子駅(20:49)=<京都行き普通>=
11月5日 =国鉄京都駅(5:21)    <車中2泊・旅館1泊>