回想 夏の雲ノ平  1968年8月2日〜5日
 
 1968年(昭和43年)8月、夏山登山で雲ノ平へ行った。当時の資料があまり残っていないので、記憶に頼るところが多いがまとめてみることにした。参加者は、2社の社員・看護婦さんなど女性5名男性9名の14名のパーティーであった。

 8月1日、大阪駅21時45分臨時急行「北アルプス」の夜行で富山に向かう。

 8月2日、早朝富山駅に到着、富山地鉄に乗り換え小見駅へ。小見駅は現在の有峰口駅だ。ここからバスに乗り折立平に9時30分到着。

 折立平を10時に出発、いよいよ雲ノ平への旅立ちだ。折立平からいきなり急登になり、三角点の標高1871mまで続く、約2時間の行程だ。このあたりから森林限界になり、視界もよくなってくる。
 途中の記憶は鮮明でないが、約3時間で太郎兵衛平を過ぎ太郎山に到着。太郎山からは下りになる。薬師沢出会、カベッケガ原を過ぎ薬師沢小屋まで約2時間歩く。壊れそうな吊橋を渡ると薬師沢小屋に着く。今日の疲れは、この小屋で解消することにしよう。
 8月3日、薬師沢小屋を6時過ぎに出発。約2時間急登を上がると、そこは〜雲ノ平だ。アラスカ庭園・ギリシャ庭園・スイス庭園・日本庭園など各庭園を散策し三俣山荘へ。雲ノ平は、黒部源流が巻くように囲んでおり、広大な高原である。池、岩、高山植物が点在している。現在は木道になっている写真が出ているが当時は木道はなかった。周囲の山の眺めも格別で、三俣蓮華岳・鷲羽岳・水晶岳・薬師岳・黒部五郎岳に囲まれている。遠くに、槍ヶ岳・穂高連峰・笠ヶ岳・立山などが見える、まさに雲ノ平の名称そのもだ。

 「雲ノ平のうた」をみんなで歌った。
「秘境を恋うる黒百合は 雲ノ平の奥深く 星のひかりにつつまれて 離れし人を待ちわぶる・・・」この歌は、伊藤和子さん(作詞)、伊藤正一さん(作曲)で、三俣山荘のご主人ではないかと思います。雲ノ平を後にして、黒部源流に急降下する。今度は黒部源流から急な坂道を登りきると、三俣山荘に着く。
 8月4日、三俣山荘を4時30分ごろ出発。三俣蓮華岳を経て双六小屋へ。双六小屋から弓折岳、小池新道を新穂高温泉に下る。旅の最終の宿は笠山荘だ。

 最近笠山荘ををよく利用しているが、こんな昔(34年前)にも宿泊していたことがわかりびっくりした。8月5日、新穂高温泉から高山、岐阜を経て帰阪した。 
お米持参の山登り
この登山の持ち物の中に、米1升持参とあった。
小屋泊まりの場合、お米を持参するのが常識だった。
現在のようにヘリコプターが何でも運んでくれはしなかった。人がすべて担いで持ち上げていた。
煙草は、最近山小屋においていないが、当時は煙草代のほかにお駄賃を渡したものだった。
コース
8月1日 大阪駅(21:45)=<臨時急行 北アルプス>=
8月2日 =富山駅駅=<富山地鉄>小見駅=<バス>折立平(9:30)
      折立平(10:00)〜太郎兵衛平〜太郎山〜薬師沢〜薬師沢小屋 (泊)
8月3日 薬師沢(6:15)〜雲ノ平・各庭園〜三俣山荘 (泊)
8月4日 三俣山荘(4:30)〜三俣蓮華岳〜双六小屋〜新穂高温泉 笠山荘 (泊)
8月5日 新穂高温泉=高山=岐阜=大阪駅(18:30) 
             <車中1泊・小屋2泊・旅館1泊>