空木岳山頂にて

回想 夏の中央アルプス  1967年8月4日〜7日
木曽駒ヶ岳・宝剣岳・空木岳

 
 1967年(昭和42年)8月、中央アルプスの縦走をした。

 8月4日から7日の予定で、木曽駒ヶ岳・宝剣岳・空木岳に登った。コーラスメンバーと合同パーティーで女性6名、男性5名の11名での登山だった。

8 月3日、大阪駅を夜行列車で出発。

 8月4日、夜中の3時過ぎに木曽福島駅に到着。バスがないのでいきなり歩き始めた。山行きの記録をなくしてしまったので、写真を見ながら思い出してみた。木曽福島駅から駒の湯まで距離にして4キロ一寸の一般道を歩く。さらに林道を福嶋スキー場まで、2キロほど歩くとやっと登山道に入る。登山道は壊れそうな梯子などかかった急な道だ。

七合目付近と思われる

七合目付近と思われる
 六合目、七合目、八合目と上がるが、夜行と早朝の平道歩きで疲労は限界にきている。休憩するたびに眠気が差してくる。歩いていても眠っているときがある。途中で十数分昼寝をしたが、みんな一瞬にして眠りについたようだ。気を取り戻して歩き続ける。山頂につくころには薄暗くなっていたように思う。

 木曽駒山頂の小屋(小屋の名前は定かでない)なだれこんで寝てしまったようで、ほとんど記憶にない。いつもは小屋でコーラスだがそんな記憶も覚えていない。初日は結果的に睡魔との闘いに敗れてしまった。現在ではこんな無理をしないでも、駒ヶ岳ロープウエイであっという間に上がってしまう。

 木曽福島駅の標高が約775m、木曽駒ヶ岳が2956mだから標高差2180mあり、標高差の累計をすれば2500m近く登ったことになる。疲れて当然だろうが、皆若さでクリヤーできたのだろう。

 8月5日、木曽駒ヶ岳から宝剣岳が目に飛び込んでくる。非常に特徴のある山なので、すぐ目にはいる。朝早くから起きてご来光を楽しむ。昨日の苦しさはどこかへ行ってしまった。

木曽駒ヶ岳でのご来光

宝剣岳を背に(木曽駒ヶ岳にて)

宝剣岳を背に(木曽駒ヶ岳にて)

木曽駒ヶ岳山頂にて

木曽駒ヶ岳山頂にて

宝剣岳(木曽駒ヶ岳山頂にて)

木曽駒ヶ岳にて

御嶽山(木曽駒ヶ岳山頂にて)
 朝の木曽駒ヶ岳からの展望を楽しんだ後、空木岳に向かって前進した。1時間ほどで宝剣岳に着く。山頂付近で頭を上げると落下傘だ。目のやり場に困る。駒ヶ岳ロープウエイでスイスイと上がってきた観光の女性たちだ。我々は必死に上がってきたのに、何と言うことだ。

 宝剣岳のすぐ下に千畳敷カールが広がり高山植物がきれいに咲き誇っている。千畳敷カールには下りないで尾根道を先に進める。空木岳へはアップダウンを繰り返しかなりの距離である。

宝剣岳

宝剣岳よりのくだり

空木岳山頂にて

空木岳からのくだり
 宝剣岳からの下りはかなりのもので、檜尾岳との中間点で約500m以上下る。檜尾岳まで約300mの取り戻しになる。またアップダウンを繰り返しになる。熊沢岳を過ぎると熊沢五峰といわれる、小ピークが続き、東川岳にでる。この下に木曽殿小屋である。今日はここまでの行程だ。ほっとする。

 8月6日、今日は空木岳に登り駒ヶ根まで下山する行程だ。1時間ほど急な道を登ると、空木岳の山頂に着く。山頂付近はガスであまり見通しがよくなかったように記憶している。ここからの下りは大変なものでかなりの苦労をした。なにぶん2000mを一気に降りるのだから大変なわけで、途中の道も険しく危険だも高い。必死で下山した。駒ヶ根鉱泉に到着するやほっとした。

 今回の行程は少しきつすぎたような感じだった。若さでカバーできたが、余裕がまったくなかったような気がする。なぜならいろんな出来事、景色、などあまり覚えていないのが現実だからである。一番強く印象に残って今でも再度行って見たいのが宝剣岳である。また、記憶に残らなかった、木曽駒ヶ岳と空木岳の雄姿を再度見てみたいと思っている。
コース
8月3日 大阪駅=<夜行列車>=
8月4日 =木曽福島駅〜駒の湯〜六合目〜七合目〜八合目〜九合目〜木曽駒山頂の小屋 (泊)
8月5日 木曽駒山頂の小屋〜中岳〜宝剣岳〜濁沢大峰〜檜尾岳〜熊沢岳〜東川岳〜
      木曽殿小屋 (泊)
8月6日 木曽殿小屋〜空木岳〜小地獄〜大地獄〜池山〜駒ヶ池 駒ヶ根鉱泉 (泊)
8月7日 駒ヶ根鉱泉=駒ヶ根駅=豊橋駅=大阪駅 
             <車中1泊・小屋2泊・旅館1泊>