回想 春の上高地と蝶ヶ岳  1966年5月1日〜3日

 
 1966年(昭和41年)5月の連休で上高地から蝶ヶ岳に登った。夜行で大阪を発ち、早朝松本駅に到着、島々まで電車でここから今では懐かしいボンネットバスで上高地へ出発。多分この当時は、奈川渡ダムは工事中でできていなく、川沿いの細い道をバスは崖から落ちそうな雰囲気で走っていたような記憶をしている。奈川渡ダム発電所は昭和44年稼動開始なので多分あっていると思う。

 松本、上高地間がバスで約3時間かかっていた。島々を出て沢渡までは比較的道は広く、ここでバスは休憩。ここからさらに細い曲がりくねった道になる。釜トンネルの手前で、落石がありバスは前進できない。
運転手や車掌そして乗客もバスを降り、道に転がっている大きな石を川へ落とす。大きな石は動かせないので、持ち上げられるだけの大きな石をその岩にぶっつけて岩を割り何とか除去したのを覚えている。何しろ5月連休の一番乗りのバスだったからだ。やがて釜トンネルはすごいと聞いていたが、やはりすごい。急な登りの曲がりくねったトンネル内ではバスは、壁に時々ぶつかって上がっていく。

 トンネルを抜けしばらくすると、水面にガスが漂った大正池が神秘的に見えてくる。はじめて上高地に来た第一印象だ。今日は、上高地を散策して上高地の景観を楽しむ。日本にこんないいところがあったのか感激、感激また感激だ。

大正池と焼岳

河童橋にて

田代池付近から望む穂高岳

河童橋
 上高地の散策の後、山小屋に入る。記憶がはっきりしないが、徳沢ロッジに泊まったと思う。当時の宿泊費は、600円から1000円とパンフレットに書いてあった。現在の1/10の費用だ。次の朝から、蝶ヶ岳に向けて出発。長塀尾根を上がる。長い長い雪道を疲れながら歩いたように思う。穂高連峰を一望できたときの感激はすばらしかった。蝶ヶ岳ヒュッテの営業はまだしていないので、一時をすごして横尾に下山する。

蝶ヶ岳山頂手前から望む穂高岳

蝶ヶ岳山頂手前で

蝶ヶ岳山頂手前から望む穂高岳

蝶ヶ岳山頂

蝶ヶ岳山頂付近

蝶ヶ岳山頂
 横尾への下山中、足場を踏み外して滑落したのもこのときだ。足を踏み込んだとたんふわーと体が宙に浮いた。風船が飛んでいるように、何回かバウンドして落ちていった。20mほど落ちたところでやっと腹ばいになれて止まった。首にかけていたカメラで制動した。カメラがピッケルになってしまった。怪我もなくなんとか事なきを得た。やがて横尾に下り、上高地で一泊して帰途に着いた。

横尾山荘

島々行き松本電鉄バス
 上高地の景色に感動し、蝶ヶ岳から望む槍穂高連峰に大きな感動を覚えたことは、記憶に大きく何かの機会に思い出す。ただ、それらの行程がはっきりしない。
コース
4月30日 大阪駅=<夜行>=
5月 1日 =松本駅=<松本電鉄>=島々=<バス>=上高地
       上高地散策〜徳沢 (泊)
5月 2日 徳沢〜<長塀尾根>〜蝶ヶ岳〜横尾〜徳沢〜上高地 (泊)
5月 3日 上高地=<バス>=島々=<松本電鉄>=松本=大阪
             <車中1泊・小屋2泊>