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佐紀神社へ向かう | ||
MRC主催 まほろば例会 | ||
古墳めぐりと古代の歴史散歩 |
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MRC主催のまほろば例会で平城の古墳群をめぐり、平城宮跡を散策するコースを行った。 今回はリーダーとは別に古墳や歴史を説明していただけるボランティアの方に同行していただいたので 興味深く散策することができた。歴史は中学生のころ学んだだけで興味がありそうでないような感じだった。 この機会にボランティアの方の説明をお聞きして頭の掃除をしてみた。 3世紀の前半までの弥生時代の後、古墳時代と言われ7世紀ごろまで続く。 3世紀の後半から4世紀の後半にかけて前方後円墳が定着化して、4世紀後半から5世紀後半にかけて 古墳時代の最盛期を迎え、仁徳天皇稜に代表される大型古墳が出現してくる。 6、7世紀になると規模が小さくなり明日香村の藤ノ木古墳に代表される特徴ある精巧な古墳になり、 やがて古墳は作られなくなっていく。 最初に行った古墳は、神功皇后稜で五社神古墳とよばれ墳丘長が275mとかなり大きい。 4世紀中葉の古墳で第14代仲哀天皇の皇后の墓とされている。 正面から右に回りこんで見ると堀の向こうに前方と後円の様子がよくわかる。 次に成務天皇稜に行った。 この古墳は佐紀石塚山古墳で墳丘長が220m、第13代成務天皇の墓とされ4世紀後半のものだ。 称徳(孝謙)天皇稜は佐紀高塚古墳で墳丘長は小さく127m、4世紀後半に作られものだ。 第46代孝謙天皇と重祚(ちょうそ)後の第48代称徳天皇(奈良後半)の墓とされている。 少し戻って日葉酢媛命稜へ。 佐紀稜山古墳で墳丘長207m、4世紀後半のもので第11代垂仁天皇の皇后の墓とされている。 佐紀神社に足を進めて古墳や古墳時代のお話、天皇稜についてのお話などをお聞きした。 平城天皇稜へ進む。市庭古墳で墳丘長が250m、5世紀初めのものとされている。 平城天皇は平安時代前半の第51代天皇だ。5世紀に作られた古墳に8世紀の天皇が祀られる? 平城宮が造られるとき、この市庭古墳は前方後円墳だったが前方部分が削り取られ平城宮になった。 ヒシャゲ古墳は5世紀中頃のもので、出土した埴輪のレプリカが公園に置いてあった。 墳丘長は219mで、第16代仁徳天皇の皇后磐之姫命稜とされている。 ここで昼食にししばらく休憩をした。 午後からはコナベ古墳からウワナベ古墳、法華寺を経て平城宮跡へ向かう。 コナベ古墳は5世紀初めの古墳で墳丘長が204mと大きい。 ウワナベ古墳も5世紀前半のもので墳丘長が255mとかなり大きい。 古墳めぐりはこれで終了だ。古墳と埋葬者についてはいろいろ説があり、古代のロマンと言えようか。 法華寺を横目で見ながら平城宮跡に向かい、遺構展示館でボランティアの方から説明を受ける。 第一次大極殿復原工事中の展望台から平城宮の往時を偲ぶ、朱雀門は遠くに小さく見えている。 最後は平城宮跡資料館で平城宮の概要や出土品を閲覧した。 平城京はおおよそ南北5キロ、東西4キロと大きな規模の都だったそうだ。 今日は先生からいろんなお話しを聞き楽しく過ごすことができた。 ただ10月というのに気温が30度近くあり、体調はかなり厳しい一日だった。 たまにはこんな催しに参加するのも良いかなと思った。先生もお疲れと思います。ありがとうございました。 なお、素人の私が記述していますので、本文写真の説明には間違いが多いと思いますがご勘弁ください。 |
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神功皇后稜にて |
神功皇后稜 |
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神功皇后稜(前方後円墳) |
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成務天皇稜 |
称徳(孝謙)天皇稜 |
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日葉酢媛命稜 |
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佐紀神社にて |
平城天皇陵 |
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ヒシアゲ古墳の埴輪 |
磐之媛命稜 |
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コナベ古墳 |
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ウワナベ古墳 |
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法華寺 |
平城宮の遺構 |
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平城宮の説明を聞く |
平城宮跡より望む若草山と春日山 |
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第一次大極殿復原工事展望台より望む平城宮跡と朱雀門 |
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コース 近鉄平城駅(9:50)〜神功皇后稜(9:57)〜成務天皇陵(10:28)〜称徳天皇稜(10:38)〜 日葉酢媛命稜(10:52)〜佐紀神社(10:07)〜平城天皇陵(11:44)〜ヒシアゲ古墳埴輪(12:12) 〜磐之媛命稜(12:20/昼食/13:00)〜コナベ古墳(13:09)〜ウワナベ古墳(13:15)〜 法華寺(13:36)〜平城宮跡遺構展示館(14:05)〜第一次大極殿復原工事(14:53)〜 平城宮跡資料館(15:13)〜近鉄西大寺駅(15:48) 天 候 晴れ 参加者 23名 実施日 2005.10.02 |