賤ヶ岳 余呉湖観光館前より |
MRC主催 定例会 |
賤ヶ岳 標高421.1m 大岩山 標高270m |
MRC主催の賤ヶ岳古戦場跡と余呉湖ハイキングに参加した。小雨の降る中、枚方を貸切バスで出発。北陸道を木之本で降り余呉湖の北端余呉湖観光館へ。歩く準備をしていよいよ出発、雨は止む気配なし。観光館の裏道を少し集落方向に戻ると賤ヶ岳の登山口があり登り始める。観音堂の釣鐘が印象的に建っている。しばらく登りが続く。やがて少しずつ勾配のある尾根道を歩く。岩崎山と思われるが標識が見つからずピークはいつの間にか過ぎてしまった。 歩き始めて半時間ほどで大岩山に到着。大岩山は標高270mで山頂に中川清秀の墓がある。中川清秀は茨木の城主であったが秀吉に味方しここに砦を築いた。しかし佐久間盛政の奇襲に合い全滅一〇〇回忌にこの墓が作られたということだ。賤ヶ岳の合戦で大岩山は初戦で戦った砦だそうだ。しばらく休憩して先に進む。「首洗いの池」をパスして「猿が馬場」へ。 猿が馬場は羽柴秀吉が最初ここで敗退し賤ヶ岳へと陣を移したそうな。賤ヶ岳山頂に到着。山頂には賤ヶ岳の合戦の記録としていろんな碑などがおかれている。賤ヶ岳の合戦では七本槍が有名だ。「七本槍」の巧名は秀吉の小姓達九人で福島正則、加藤清正、脇坂安治、加藤嘉明、片桐且元、平野長泰、糟屋武則らによる功名とされている。 賤ヶ岳は標高421.1mで三等三角点がおかれている。山頂からの景色はすばらしいものと思われる。あいにくの霧雨と強風で視界は殆どの望めない。南西方向に高月町その向こうは小谷山と思われる。天気が良ければその先に伊吹山が見えるはずだ。南側に目を転じれば山本山の山並みが見える。左側は木之本町、高月町集落、右上には琵琶湖が見える。北側を覗けば余呉湖が霧の合間に見える。天気が良ければすばらしい光景が見られそうで誠に残念だ。またの機会に是非登りたい山になった。山頂の休憩所で昼食にしゆっくりくつろいだ後下山した。一挙に下るので少し急だが難なく下る。 半浦分岐から国民宿舎余呉荘へ下山した。ここから余呉湖の西岸を時々振り返りながら歩いた。途中「七本槍戦場」「菊石姫と蛇の目玉石」さらに「天女の衣掛柳」などがある。天女が水浴中に羽衣を取られ仕方なくこの地の豪族と一緒になり一男を生んだ。その後羽衣が見つかり天に帰った。幼児は管山寺に引き取られ、その後菅原道真公になったという。小雨の中余呉湖に浮かぶ賤ヶ岳を眺めながら出発点の余呉湖観光館に戻り、安土に向かった。 |
帰路、安土城天主信長の館と安土城考古博物館に立ち寄った。 織田信長が築城したと伝えられる幻の安土城の天主部分を復元したものだ。この辺りまで来ると桜は満開になっている。信長の館天主部分の復元を見たがきんきらきんだ。小雨のなかバスに揺られてきて別世界に飛び込んだようだ。バスでの小旅行になってどろんこ山旅がいつもと違って楽しく過ごせた。リーダーに感謝します。 |
コース 枚方(8:00)=[貸切バス]=余呉湖観光館(10:10) 余呉湖観光館(10:38)〜大岩山(11:15/11:23)〜猿ヶ馬場(11:30)〜賤ヶ岳(12:10/昼食/12:43) 〜飯浦分岐(12:57)〜国民宿舎余呉湖荘(13:12)〜衣掛柳(14:05)〜余呉湖観光館(14:17)〜 余呉湖観光館(14:40)=[貸切バス]=安土城考古博物館・天主信長の館(16:00/見学/16:45) =枚方(18:30) [解散] 地 図 木之本 天 候 小雨 参加者 22名 実施日 2006.04.15 |