12月15日、友歩会の忘年例会で18切符を利用して岐阜の金華山に登った。大阪を8時30分新快速で出発米原、大垣を経て岐阜に11時過ぎに到着。岐阜公園でバスを降り、岐阜公園を散策した。岐阜市歴史博物館前を通り先に行くと板垣退助像がある。板垣退助はこの地で演説後襲われた。「板垣死すとも自由は死せず」は有名だ。冠木門、三重塔など眺めながら登山口へと進む。当初百曲がり登山道を予定していたが、参加者の体力から判断し馬ノ背登山道(上級)を登ることにした。登山口からめい想の小径から登りはじめ、10分ほど登ると広場に出る。伊奈葉神社旧跡烏帽子岩があり広場になっている。ここから右の道をとると馬ノ背登山道に入る。ほどなく岩場の急勾配になり迫力が出るような感じだ。さらに進むと木の根道になりこれもまたすごい道だ。最後の急坂を登りきると尾根に出る。左を見上げると岐阜城がそびえている。なかなか良い感じだ。お城の見学は後にして昼食休憩にした。この間に三角点を探したがなかなか見つからない。よく聞くと測候所の裏庭にあるとのこと、柵の中に入るとすぐ見つけることが出来た。三角点は二等三角点で標高328.9mだ。当初の三角点は陸軍が現在のお城のある位置に埋設したそうだ。お城の図面を見せていただいたら城の中央部分に三角点の記号が記載されていた。標高は石段を上がったところにある方向標?と記載された石標に彫られている338mだったそうだ。この石標の横に宮三角点が埋設されていた。この地の人の話だとこの山には三角点が三つあると自慢していたがこのことだろう。宮は宮内省の略で明治40年ごろ埋設されたものと推察される。
岐阜城に上がった。岐阜城は鎌倉時代稲葉山城といわれていた。戦国時代になり斉藤道三、織田信長の居城になった。現在の城は昭和31年に復興された鉄筋コンクリートの三層四階建でみんなに親しまれている。下山は金華山御嶽神社の横からめい想の小径を下った。道はかなり険しくめい想している暇はなかった。さすが難攻不落の城で「美濃を制するものは天下を制す」といわれるゆえんだ。
三重塔に下山し、公園を通って長良川温泉に行った。温泉は十八楼の温泉に入りゆっくり寛ぐことができた。ゆっくりした後往路を引き返し、大阪に戻り18切符のたびも終わった。
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