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松愛会山登り会 | |
城 山 [八木城跡] 標高330m | |
5月22日松愛会山登り会で南丹市八木町で、亀岡市との境にある城山に登った。城山は八木城跡で丹後の守護代内藤氏の居城だった。京都駅を9時33分の電車の乗り保津峡から亀岡盆地へ入り小一時間で八木駅に着いた。大阪京都の雑踏からほんの少しでのんびりした田舎に来た感じだ。八木駅前の広場に観光マップが掲示されているが不比例であまり役に立たないように思える。準備体操をして城山に向けて出発。線路沿いに少し戻り、踏切を渡る。正面に城山を見ながら進むと八木小学校だ。校門脇にロダンの考える人の銅像があった。昔は二宮金次郎像が多かったが今は変わったようだ。八木小学校のグランドから望む城山は美しい。金華山山頂にそびえる岐阜城のようにこの城山にそびえる八木城も威厳と美しさががあったのだろう。グランドを巻くように進み、道なりに行くと三差路に出るとガイド標識があり、その先に春日神社が見える。春日神社に参拝して龍興寺、東雲寺方向へほんの少し行くと三差路に内藤ジョアン顕彰碑が建っている。碑は1982年に建てられ「戦国キリシタン武将 ジョアン内藤飛騨守忠俊ゆかりの地」と刻まれていた。内藤ジョアンは八木城に生まれ、1565年頃都の南蛮寺でルイス・フロイスから洗礼を受けキリシタンになった。キリシタン大名で有名な高山右近とともに戦乱の世で活躍した。キリシタン弾圧で右近と共に追放されフィリピンのマニラで殉教者として活躍した。ジョアンはマニラ郊外の墓地に右近と共に埋葬されたと伝えられている。(説明板より抜粋)この顕彰碑から内藤家の屋敷がおかれたという東雲寺や龍興寺が近くにある。 顕彰碑を見てふり返ると坂道になっていてお城の門をデザインしたようなトンネルがある。上は京都縦貫自動車道だ。このトンネルの門が城山登山道入口だ。門を入るとすぐ八木城登山口の標識がある。3分ほどで一合目の標識が出てきてこの辺りから道は少し急になってくる。二合目、3合目と続き五合目を過ぎたところで八木城対面所跡がある。ここから先は入城制限されたのであろうか。新緑と苔むした道は清々しい。尾根に出たところが広く回輪跡になっていたのだろうか。一段上がると本丸跡だ。本丸があったところは現在桜が植えられ、ベンチなども置かれて綺麗に整備されている。 八木城は、八木南西部に位置し、京街道を眼下に望む口丹波随一の要害である。丹波国内では、八上城、黒井城と並んで三大城郭の一つといわれ、中世の山城としては有数の規模を誇る。丹波守護代内藤氏の居城として伝えられ、15世紀〜16世紀に丹波地方の中心として機能した。戦国時代、キリシタン武将としてルイス・フロイスとも親交のあった内藤如安は有名で、文禄・慶長の役のおり、民側との交渉に当った。城は、明智光秀の丹波侵攻により没落したが、江戸時代に亀山藩が幕府に提出した絵図の模写によると、最高所の本丸は四方に野づら積みの石組みが描かれている。また、本丸の南西端に金の間と書かれた一段と高い部分が張り出しているが、これは、天守閣の祖形と考えられる。現在は、石垣の一部や尾根づたいに回輪跡が残っているのみであるが、当時の雄大な様子を伝えている。(八木町案内板より) 城跡と展望を楽しみながら昼食をし、妙見道を下山した。妙見宮分岐を直進し、妙見道の古い道標のある墓地に出た。縦貫道のガードをくぐり左前方に進むと龍興寺に着いた。龍興寺は竜安寺、竜譚寺とともに京都三竜と呼ばれるお寺で、1452年細川勝元が建立したお寺。梅林もありお花のお寺だそうだ。先に進むと東雲寺着く。内藤家の屋敷があったとされ石垣が立派だ。一回りして八木駅に戻った。できれば八木温泉に入って帰ろうと思ったがあいにく木曜日が定休日で残念した。 さがの温泉天山の湯に行くことにしてJRで太秦に戻った。しばらく歩いて天山の湯に入りゆっくり寛ぎ疲れを癒した。歩いた後の温泉は格別だ。 城攻めハイキングも城山によっては、登城ハイキングの方があっているかも知れない。何はともあれ城山にチャレンジしていきたい。皆さんお疲れ様でした。 |
コース 京都(9:33)=八木駅(10:20/10:40)〜春日神社(10:55)〜内藤ジョアン顕彰碑(11:00)〜 城山登山口(11:06)〜八木城対面所跡(11:30)〜城山・八木城跡(11:45/昼食/12:30)〜 妙見宮分岐(12:52)〜京都縦貫道ガード(13:06)〜龍興寺(13:11)〜東雲寺(13:18)〜 八木駅(13:42/13:51)=太秦(14:25)〜さがの温泉天山の湯(14:43/入浴/16:15)〜 生田口BS=京都駅 天 候 晴れ 参加者 9名 実施日 2008.05.22 |