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MRC アルプス例会 | |
上高地〜涸 沢 標高2300m (北穂高岳) 上高地〜横尾〜本谷橋〜涸沢〜本谷橋〜横尾〜上高地 |
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8月22日から24日、MRC主催の涸沢から北穂高岳の登山に参加した。北穂高岳は槍ヶ岳からの縦走で2回、西穂高岳から槍ヶ岳までの縦走を1回と3回登った。今回は涸沢から南稜を登る計画であり大きな期待をしての山行きとなった。 8月22日、上高地西糸屋別館を出て梓川の河原に降りると、青空に焼岳が美しく輝いていた。昨日一昨日と蝶ヶ岳登山は曇り空で景色を楽しむことができなかった分今日はとても清々しい朝の景色に遭遇できた。7時の集合時間まで少し時間があるので河童橋辺りを散策した。太陽は西穂高岳からジャンダルム辺り、奥穂高岳をまばゆいばかりに照らし出されていた。河童橋から眺める西穂高の独標辺りからピラミッドピーク、西穂高岳、間ノ岳、天狗ノ頭、ジャンダルム、奥穂高、吊尾根、前穂高、明神そしてそれらピークから氷河期にできたといわれる岳沢カールは実に素晴らしい。 7時前に集合場所のバスターミナルに行く。5人のメンバーが登山準備をしていた。7時上高地バスターミナルを出発。河童橋でしばらく梓川、岳沢と穂高、焼岳など上高地の景色を堪能した。明神へを歩くが一昨日の景色と一転して素晴らしい。明神手前の六百沢辺りの砂が押し寄せている木々の切れ間より明神岳が飛び込んでくる。思わずみんなで記念写真を撮る。明神に着くとここからの明神岳の景色はとても格別だ。ここで明神館宿泊組4名が加わって9名のパーティーになる。 明神から徳沢へ明神岳を巻くように梓川に沿って歩く。徳沢に近づくにつれ、前穂高岳の厳つい岩稜が見えてきた。やがて徳沢に到着し、ここで前泊したメンバーと合流、総勢23名のパーティーになる。横尾へと進む、あまり景色が期待できないが長塀沢辺りから前穂高岳が梓川の向うに見える。やがて横尾に近づくと屏風岩の絶壁がそして屏風ノ頭が印象的に見えてくる。横尾では先発組に同行していた88歳大御所の顧問がここまでという事でお別れ。 |
横尾からは屏風岩を円周上に半円を巻くことになる。横尾から横尾谷を4分の1周半時計方向に回り、東から北側になった頃、本谷橋に到着する。本谷橋は横尾大橋のように立派なものではなくかなりやわい橋だ。橋を渡って河原で昼食にした。午後は本格的な登りが待っている。今まではどちらかというと緩やかな遊歩道程度だったがこれからは違う。 鋭気を養ったところでいよいよ長い長い登りの開始だ。本谷橋から約45分ほど歩くと横尾から屏風岩を半周したことになる。この辺りまで来ると今まで屏風岩をああだこうだと言って眺めながら登ってきたが前穂高岳が見えてくる。横尾では前穂高岳を東側から見ていたが今度は北側から眺めることになる。ほどなく西側に涸沢が見え始める。ちょうど上高地から前穂高岳を中心の半時計方向に半周したことになる。涸沢ヒュッテの鯉幟がが見えたかに感じたが、これからが長い道のりになる。 もうすぐなのになかなか近づかない。疲れもピークになってきている。 涸沢小屋分岐に到着。もうすぐだと思ってもまだまだ、雪渓辺りで休憩をとった。休憩後最後の力を振り絞って涸沢ヒュッテへの最後の石段を登る。到着だ!!。 涸沢ヒュッテの屋根に設けられたテラスで先発隊6名が出迎え。さっそく生ビールで乾杯。ビールは最高だ。ビールを頂きながら涸沢の素晴らしい眺めをしばらく堪能した。テラスからは前穂高岳、吊尾根、奥穂高、涸沢岳、西穂高とそれに落ち込んだカール涸沢は素晴らしい。明日登る北穂高岳辺りは直射日光で眩い状態だ。どの辺りを登るのだろうかみんな明日の北穂高岳への道を楽しみに詮索していた。テラスの反対側には東天井岳、横通岳が遠くにそして近くの右側には屏風ノ頭がそびえている。東天井岳方向の山は登ってくる途中、蝶ヶ岳だ、常念岳だと議論していたが全て外れで東天井岳だった。 夕食までの時間、テラスで涸沢の景色を堪能しながら、名物おでんなど肴にしてビールのピッチも上がった。夕食はそろって山小屋風造りの食堂でそろって夕食をいただいた。明日の天気予報はあまり良くない、予報がくつがえって良い天気になることを祈りながら就寝した。 |
夜半から降りだした雨は止むことを知らず、強く降ったり小雨になったりの繰り返しが続いた。4時頃に起床して5時に朝食をいただき、北穂高岳への出発に備えたが7時出発になって、ますます雨は厳しくなってきた。リーダーから北穂高岳登頂は中止との話になった。ここまで来てもう少しで北穂高岳の山頂を踏めると思っていただけに非常に残念だ。しかしこの雨のなか決行してもガスの中でなにも見えなく危険だけが隣り合わせと言う事で中止でよかったと思う。 中止になると時間がもてあそぶ事になる。天気がいくらか回復すれば散策組が予定していた屏風ノ頭に出かけることもあったがさっさとあきらめてしまった。屏風ノ頭へのパノラマコースは、ガスでパノラマにもならないのと、岩の斜面をトラバースするコースなので滑りやすいことも考慮してのことだ。 全て中止が決まった以上、2時過ぎからの涸沢音楽祭に期待して、前哨戦だ。9時半頃からヒュッテの入口にある乾燥室を兼ねたロビーでストーブを囲んで宴会を始めた。ビールや地酒、おでんなどでそれぞれ午前中を過ごした。昼寝、五目並べ、読書などおもいおもいの時を過ごした。 談話室の書棚にあった「私は山の上のお母さん」が目に入ったので読んでみた。船窪小屋50周年、お母さんの奮闘記だ。船窪小屋には1966年8月、今から42年前にお世話になった。当時小屋の中央に囲炉裏があって食事の仕度はこの囲炉裏で行われていたように思う。夕食のアザミのてんぷらは天下一品だった。朝は囲炉裏の煙にいぶされて2階から飛び起きたような記憶もある小屋だ。そんなお母さんの半世紀を読んで感動の連続だった。 夕食前に少し雨が小降りになったので、テラスで集合写真をとり、2日目の夕食が始まった。午後に連絡が入って涸沢音楽祭は中止になっていた。あわせてコニャックとワインの夕べも中止になった。夕食後、ヒュッテの社長のお話とワインが頂けるということで食堂に集まった。 |
楽しみにしていた涸沢音楽祭は雨天で中止になってしまった。楽団員は朝3時ごろ起床して上高地のヘリポートに向かったそうだ。天候が悪化してヘリが飛べそうもない。安全第一ということで今年は中止に決まったそうだ。10年で初めてのこと、楽団員はみんな呆然とし、戸惑いショック無念さでいっぱいだったそうだ。そんなお話が夜食堂で山口社長からあった。 山口社長から山小屋の生活、苦労話など面白おかしくお話があり、涸沢のこと、山岳救難のことなどいろいろお聞きした。ワインをご馳走になりながら社長の山の替え歌ご披露などがあり楽しく過ごした。どこかの先生の歌もあったが最後にオーナーの小林銀一さんのお話があった。氷壁の話の中で誰かを背負って降ろしたとか言っておられたが良く聞き取れなかった。 涸沢音楽祭が中止になったため急遽こんな試みがあり楽しいひと時を過ごした。 |
4時前起床、4時30分から朝食、残念ながら雨は依然降り続いている。涸沢ヒュッテ5時下山開始。暗闇の中ヘッドランプを頼りに歩く、雪渓は滑りやすく注意しながら降りる。本谷橋に近づくにつれ雨は少し小康状態になってきた。横尾に到着、横大橋で集合写真を味の素のAmhodtal宣伝中の女性にシャッターを押してもらう。徳沢、明神を経て無事河童橋に到着。ここで解散となった。 温泉につかりたくてウエストン碑近くの清水屋ホテルに行ったが満員で待ち時間あり、バスターミナルへ戻って、上高地インフォメーションセンターでシャワーをして、昼食、バス待ちをした。 帰阪は往路に利用したさわやか信州号を利用した。ほぼ定刻のシャトルバスで沢渡に下った。ここから大阪までバスだが座席表が届いていないとの事でしばらく待機。話が複雑になってきて大阪に向かうバスは2台だそうだが、私の乗る1台目は待機中だが2台目のバスが松本方面から来る途中、バスとダンプカーの正面衝突がトンネルで発生し、通行止めの巻き添えになっているとか。MRCの2号車予定の4名がうまく交渉し、1号車の4名キャンセッルに合わせて乗換えてきた。MRC大阪組全員一緒になりやがて大阪に向けて出発した。大阪には約1時間ほどの遅れで到着した。 |
今回の北穂高岳は雨天で中止になり、涸沢で終日過ごしたが、結果的にゆっくりした山旅になった。リーダーの的確な判断に感謝します。また近いうちに今回のコースを再度チャレンジしたいと思います。北穂高岳と涸沢音楽祭を楽しみにして。有難うございました。 |
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