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友歩会 青春例会 | ||
新龍アルプス 鶏籠山[龍野古城] 標高218m 的場山 標高394m 亀山[城山城] 標高458m 祇園嶽 標高340m 本龍野〜龍野城〜鶏籠山〜的場山〜亀山〜亀の池〜祇園嶽〜志んぐ荘 |
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1月17日、青春例会で新龍アルプスに行った。青春18切符での青春例会だ。大阪から新快速で姫路へ、ここから姫新線に乗換え本竜野で下車した。駅前に「童謡あかとんぼの里」が建っていた。あかとんぼのふるさとで、三木露風が箱館のトラピス修道院で講師をしていた頃、子供の頃の赤とんぼの風景を思い出し、詩にしたといわれていて、昭和2年に山田耕作が曲をつけた。この町について何処もかしこもあかとんぼに気がついた。国民宿舎あかとんぼ荘、コミニティーバスあかとんぼ、確かタクシーの行灯にもあかとんぼとかいてあったような、ロマンがあっていいことだ。 本竜野駅から歩き始め、龍野橋を渡った。この橋から正面に鶏籠山、的場山が美しく見えていた。城下町の雰囲気を残す街中を歩いて、龍野城の立派な門をくぐった。龍野城は元は明応8年(1499年)鶏籠山の山頂に赤松村秀が築いた。その後変遷があり、1672年に山頂の郭は放棄され現在の平地に陣屋形式の城になったという、現在の本丸御殿は1979年に再建されたものだそうです。 さてその鶏籠山山頂の龍野古城に登ることに、庭仕事をしていた方が登山口の説明などしてくれた。さっそく登山口から古城大手道を登ることにした。町では紅葉谷登山道を登り、下りに古城大手道を推奨しているようだ。逆コースとあってかなりの急登だ。考えてみれば急登でなければ城の防御はできないということだ。約30分で山頂に到着。途中、二の丸址、土塁、櫓などがあった削平地があった。 鶏籠山は、鶏籠を伏せたような格好から付いたらしい。山頂には龍野古城の石碑が建っていた。奥へ下ると昔を偲ぶ石垣、八幡宮跡の石畳など見られた。さらに下ると竪堀跡があり、下りきると峠になっていて両見坂と呼ぶそうだ。右は北龍野、左は紅葉谷へ、直進はこれから登る的場山に現在は近畿自然歩道となって続いている。 的場山へ両見坂からいきなり急登が始まる。一時間弱ひたすら登る。道は露岩が出ていたり結構変化に富んでいておもしろい。25分ほどでピークに出るここで少し休憩を入れる。ここからたつの市街の展望が素晴らしく、ピークを越えたところから後ほど通過するピークが美しい。何故こんな美しいピークに山名がないんだろう。一旦ピークを下り登り返す、最後の階段道を登りきれば的場山の山頂につく。 的場山の山頂にはアンテナ群があり、施設用の車道がついている。的場山は標高394.2mで三等三角点になっている。展望は南側が開けていてたつの市街、遠く海が見えた。時には淡路島も見えるそうだ。ここで昼食にした。 |
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本竜野駅前の童謡あかとんぼのふる里碑 |
鶏籠山(右)と的場山 龍野橋より |
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鶏籠山(右)と的場山 龍野橋より |
龍野城 |
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龍野城 |
龍野城 |
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鶏籠山古城登山口 龍野城北西角 |
古城大手道を上がる |
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鶏籠山山頂 龍野古城跡 |
龍野古城跡にて |
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龍野古城の面影を残す石垣 |
両見坂 |
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両見坂から的場山への急登 |
尾根のピークに出る(標高約315m) |
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ピークよりたつの市街の展望 |
P415(綺麗な山だが名前がない) ピークより |
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的場山へ最後の階段 |
的場山山頂 |
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的場山 山頂にて |
的場山 三等三角点(標高394.1m) |
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無線中継アンテナ |
アンテナの先に瀬戸内の海が見える |
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午後は新龍アルプスの縦走だ。新龍アルプスは、平成の大合併で誕生したアルプスだ。合併前の新宮町と龍野市にまたがる標高400mほどの山並みが揖保川の西岸に5kmほど連なる。この山並みをアルプスに見立てて新龍アルプスと名付けたらしい。さっそく尾根歩きを始め、目指すは両見坂から登り詰めたピークから見た格好の良いピーク415を目指した。的場山から一旦鞍部に下り、登りかえして的場山より高度の高い無名のピークへ約25分で登る。本当に山名の欲しい美しい山だ。ピーク付近より振りかえると的場山や最初に登った鶏籠山やたつの市街が美しく見える。 P415を下り、鞍部に着くと分岐になっていて、佐野の集落に下山できる。登り返すと送電線鉄塔のピークに出、また下って登ると、三角点のあるピークに着く。この辺りからたつの市街やこれから登る亀山などが続いて見える。三角点は尾根の道にあり、四等三角点で標高は382.7mだ。 やや細い尾根道を少し下り鞍部へと歩く、ここから緩やかな登りでP389を過ぎさらに登ると、城山城(きのやまじょう)跡に着く。ここにも分岐があり、下野田の集落に下れる。 城山城跡は杉林で包まれており、あまり城の面影は感じ取れない。説明板によれば、城山城は奈良時代の古代山城と室町時代の中世山城同じ場所に立地しているとのことだ。古代山城の遺構、中世の山城遺構も残っているとのことだ。 城跡から一段上がると亀山(きのやま)山頂に着く。亀山は城山(きのやま)ともいわれていたようで、山頂標識で両者の意味合いが分かったように思えた。亀山は本日の最高峰で、標高458m四等三角点になっている。展望は雑木であまり期待できない。山頂を後に縦走を続ける。 |
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的場山 P415手前より |
P415手前の巨岩 |
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たつの市街・鶏籠山・的場山 P415より |
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たつの市街 三角点ピーク(送電線鉄塔付近)より |
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三角点ピーク |
四等三角点(標高382.7m) |
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亀山(城山) 三角点ピークより |
亀山(城山) 三角点ピークより |
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たつの市街 三角点ピークより |
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城山城址 |
城山城址 |
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亀山(城山) 山頂 |
亀山(城山) 四等三角点(標高458.0m) |
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亀山からゆっくり尾根道を下ると雑木が切り開かれた展望台に出る。ここからたつの市街が一望できる。ハイキングマップの看板も建っている。さらに下りきると分岐に出て亀岩がある。亀岩は非常に亀によく似ていて背中に木が生えていたようだ。折角だから亀の池(きのいけ)に行ってみることにした。数分で美しい池に出会った。一部凍った池は美しく耀いていた。さきほどの分岐に戻り先に進むと蛙岩があった。蛙岩はどう見ても蛙には見えず、亀に似ているといったほうが納得できそうだ。亀山なのでこの岩も亀にしたらどうだろうか。 その先に供養碑があり、南無阿弥陀仏の銘があるそうだが読み取れなかった。そしてまた分岐があり、馬立に下る道がある。姥塚古墳が下山するとあるという。縦走を続け祇園嶽方面に歩く。亀山の尾根から最低鞍部に下るとその先は祇園嶽の尾根になる。亀山の最後の下りから祇園嶽の露質した岩肌と岩壁が見える。 鞍部に下りると四つ辻になっていて、直進は祇園嶽、左は上堰堤、右は祇園嶽に登ったあとの下山道で、市野保(水布弥口)に続いている。直進して急な斜面を登る。山頂近くから上は大きな岩になっている。 祇園嶽に到着、標高は340.4mで三等三角点になっている。展望は旧の新宮市街から龍野市街が絶壁の岩の上から展望できる。素晴らしい大パノラマが楽しめて圧巻だ。 下山は分岐まで戻り、水布弥口へ水布弥道を下った。下りかけると予想をしていたい以上に倒木が道を塞いでいて、くぐったり、またいだり大変な下りになった。一番危険なところは倒木と崖崩れが重なったところだ。慎重に下り、かなり気疲れしてしまった。2004年以前の台風の置き土産だと思うが、4年も保全しないで放置しているのは、市の観光担当の怠慢だろうと思う。何はともあれ水布弥口に無事下山した。 田んぼの中に、お玉の清水があったが夕暮れが迫っているのでパスして、国民宿舎志んぐ荘(しんぐそう)へと急いだ。揖保川にかかる吊橋を渡って市んぐ荘の温泉へ行く途中、あかとんぼのうたの背景を感じ取れるような夕暮れを眺めて、思わずあかとんぼの歌をくちずさんだ。 志んぐ荘で温泉につかりゆっくりと、温泉はミネラル温泉(光明石温泉)だ。すっかり暗くなり、タクシーで播磨新宮駅へそして姫新線で姫路に戻り、新快速で大阪に戻った。小春日和の一日、しっぽり楽しんだ。 |
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たつの市街 展望ピークより |
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亀岩 |
亀池 |
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蛙岩 |
供養碑 |
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祇園嶽 縦走尾根より |
祇園嶽 |
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祇園嶽 山頂 |
祇園嶽 三等三角点(標高340.4m) |
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祇園嶽 山頂にて |
祇園嶽 山頂にて |
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たつの市街 祇園嶽より |
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倒木が続く水布弥谷登山道 |
倒木が続く水布弥谷登山道 |
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新龍アルプス 水布弥口に下山 |
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新龍アルプスの夕暮れ 東山公園橋より |
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東山公園橋と国民宿舎志んぐ荘 |
国民宿舎志んぐ荘 |
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たつの市は、「優秀観光地づくり賞」を受賞したそうだ。社団法人日本観光協会主催(国土交通省・総務省後援)の「第15回優秀観光地づくり賞」で協会の会長賞を受賞し、全国区の観光地として認定されたという。 少し苦言だが、折角できた観光地、新龍アルプスについても少し目を配って欲しいものだ。新龍アルプスは標識も案内板も多くあり良いハイキングコースになっている。 しかし、水布弥谷の倒木は何年も放置したままであり、改善さえる事を望む次第だ。木の持ち主、山地主など多くの承諾がなければ倒木といえども切り倒せないのは理解できるが、なんとか手続きをして登山道の整備を望みたい。こんなに良いハイキングコースをこのまま放置しておくのはなんとももったいないと思う。 もう一つは、山名標識の充実と、ご当地山名をきれいなピークにつけたらいかがでしょうか。関係者の一日も早い行動を希望します。 |
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コース |