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国見山 山頂にて 中央の標石「ホホ間の丘」 |
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松愛会山歩き会 |
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国 見 山 標高229m |
市尾駅〜宮塚古墳〜三光丸〜国見山〜日本武尊白鳥稜〜吉祥草寺〜御所駅 |
9月19日、松愛会山歩き会で奈良県の高取町と御所市の古きを訪ねた。近鉄市尾駅から古墳を訪ね、御所市に入って三光丸さんのクスリ資料館、そして今日のメイン国見山に登り、日本武尊白鳥稜へそして最後は役行者生誕の地吉祥草寺へそのあと、かもきみの湯へ行く予定で出発した。 |
近鉄市尾駅から歩き始める |
市尾墓山古墳 |
近鉄市尾駅を9時20分過ぎに出発した。最初に市尾墓山古墳に向かった。古墳は田んぼの中央にあり、結構大きな山状になっている。2段になった前方後円墳で墳丘長70m、高さ10mだ。玄室は、後円部上段にある。残念ながら玄室に雨漏りして閉鎖されていた。墳丘の上に登ってみると、後円部にビニールシートがかけられていた。墓山古墳は、6世紀初頭の構築で豪族巨勢氏の首長が被葬者らしい。 |
市尾墓山古墳 |
市尾墓山古墳石室と石棺 |
市尾墓山古墳 |
市尾墓山古墳をあとに |
天満神社 |
次に、市尾宮塚古墳へ行った。天満神社の山道を登り、社殿の右奥へと入っていく。ほんの少し先で振り返ると、古墳があった。宮塚古墳で前方後円墳で、玄室は後円部にあり、近づくと照明が点灯して内部が見られる。宮塚古墳は、6世紀中頃の構築で豊富な副葬品から墓山古墳とおなじ豪族巨勢氏の首長が被葬者らしい。 |
市尾宮塚古墳 |
市尾宮塚古墳石室と石棺 |
市尾宮塚古墳 |
市尾宮塚古墳 |
天満神社鳥居まで戻り、先に進み、北向きの細い道を入っていくと、御所市になる。曽我川を渡り、JR和歌山線のガードをくぐる。突き当たりの広い道を右へ進むと、旧家が並んでいてその先に今日の2つ目の目的地に到着する。 |
国見山へ |
国見山へ |
国見山 |
国見山へ |
三光丸クスリ資料館 |
三光丸クスリ資料館に立ち寄り、クスリの歴史などを学習した。薬の始まりは大和からと言われるくらい日本の薬屋医療に大きな役割を果たしてきた。古事記や日本書紀にも薬について記されているようで、また修験者役行者(役小角)の薬草、などなど、また日本各地への配置薬など大和の働きは大きい。
薬の歴史を映像で見、薬の原料を手にとったり、薬作りの道具にふれたりして薬の知識のいくら化を学習した。 |
三光丸クスリ資料館 |
三光丸クスリ資料館 |
三光丸クスリ資料館見学を終えて記念写真 |
三光丸クスリ資料館を後に、国見山へと歩き始めた。先ず、山の麓の国見神社へと登っていった。国見神社は、集落からかなり上にあり、山への取り付きにあった。 |
国見山 |
ヒガンバナ |
国見山へ |
国見神社 |
国見神社にお参りして少し休憩をして国見山へと登り始める。登山道は、結構急な登りミリだ。神社から約20分頑張ると山頂に到着する。 |
国見山へ |
国見山へ |
国見山へ |
国見山へ |
国見山へ |
国見山へ |
国見山山頂 「ホホ間の丘」 (標高229m) |
国見山は、標高229mで中央が少し盛り上がっている。中央に標石が立っている。標石には、「ホホ間の丘」と刻まれている。
*ホホという字は、文字が残念ながらなかった。
偏は「口」で旁は「兼」がホホという文字でそれが刻まれている。
日本書紀に、大和を平定した神武天皇がこの山に登って国見されなんと素晴らしい国をだと賞賛したという。今は木が茂っていて展望は、わずか金剛山を眺められる程度だ。
山頂で、昼食をいただいてゆっくりくつろぐ。もし山頂に展望台または、部分的に木を間引いて展望所があれば、神武天皇の気分になれるのだろうか。 |
国見山 山頂にて |
「ホホ間の丘」碑 |
国見山 山頂で昼食 |
金剛山と国見山山頂 |
国見山山頂をあとに |
日本武尊白鳥稜へ |
下山は、山頂北側の登山道を下る。下り始めは結構急な斜面で注意しながら降りていく。車道まで下り、掖上カンス塚古墳を眺めて、4つ目の日本武尊白鳥稜へとひたすら歩く。 |
日本武尊白鳥稜へ |
日本武尊白鳥稜へ |
日本武尊白鳥稜へ |
日本武尊白鳥稜へ |
金剛山・葛城山 |
秋津鴻池病院を過ぎ御所市民グランドに出ると前が開け、正面の田んぼの向こうに金剛山、葛城山、二上山などの山並みが見える。田んぼ道や村の中を巡ってやっと、日本武尊白鳥に到着。
日本武尊白鳥稜は、宮内庁の管理だが、御陵というイメージから程遠く森の前に門があるだけの感じだ。
日本武尊には白鳥伝説がある。古事記、日本書紀によると、父の景行天皇から熊襲(くまそ)、出雲の征討を命じられ戻ってくるとすぐさま東国征討を命じられる。東国を平定して大和に帰る途中、伊吹山の神との戦いに敗れ傷を負い、現在の三重県亀山市で故郷を偲んだ。
、「やまとは くにのまほろば たたなづく あをかき やまごもれる やまとし うるはし」
と、歌い崩じられ御陵をつくり葬ったところ白鳥となって大和の国に飛んでいった。現在の御所市に留まった。そこで御陵をつくったが再び白鳥が飛びたち、河内の国現在の羽曳野市に舞い降りた。そこにまた御陵をつくったところ、白鳥は天高く飛び去ったという。 |
日本武尊白鳥稜案内板 |
日本武尊白鳥稜 |
国見山 |
二上山 |
吉祥草寺へ |
吉祥草寺 案内板 |
白鳥稜から市民グランドに戻り、JR玉出駅そして吉祥草寺へと進んでいく。
吉祥草寺は、役行者(役小角 えんのおづぬ)の生誕の地で、左義長・茅原大とんど(毎年1月14日)で有名なお寺だ。
役行者は、我々が日本国内の修験道の山に登ればほとんどが開祖になっているように思える。飛鳥時代の呪術者で、日本独自の山岳信仰である修験道の開祖だ。金剛山、葛城山で修業を始め大峯山、吉野熊野奥駈道も開いたとされる。実在の人物だが、後世の人物像は伝説によるところが多いようだ。
役行者産湯の井戸なども見て回り、お寺を後にし、近鉄御所駅へと歩いた。今度機会があれば、この会では行っていない、役行者が没した箕面市の天上ヶ岳にも立ち寄ってみたいと思う。 |
吉祥草寺 山門 |
吉祥草寺 本堂 |
吉祥草寺 観音堂 |
吉祥草寺 役行者産湯の井戸 |
吉祥草寺 |
フヨウ |
少し暑かったのでかもきみの湯へバスで出かけるのも大変なので今回は温泉を中止にし、大阪にもだった。阿倍野に戻り、風月のお好み焼きとビールで反省会をした。
今回は、6世紀の古墳、日本書紀や役行者に出てくる大和のクスリ、神武天皇が国見をしたという国見山、白鳥伝説の日本武尊白鳥稜、役行者の生誕地などを訪ねた。温故知新、古事記や日本書紀にでてくるクスリが今も人々の健康管理に生かされているなど貴重な山旅になったと思う。 |
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国見山
基準点名:−−− 等級種別:−−−
標高:229m
所在:奈良県御所市
地図:畝傍山
国見山 山頂 |
国見山 432m 2019.09.19 |
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コ ース
近鉄阿倍野橋(8:20)=[急行吉野行き]=市尾駅(910/9:23)〜墓山古墳(9:29/9:37)〜
宮塚古墳(9:47/9:52)〜三光丸クスリ資料館(10:14/見学/10:48)〜
国見神社(11:06/11:16)〜国見山(11:35/昼食/12:08)〜掖上カンス塚古墳(12:42)〜
市民グランド(12:51)〜日本武尊白鳥陵(13:06/13:20)〜市民グランド(13:32)〜
JR玉出駅(13:53)〜吉祥草寺(14:08/14:34)〜御所市役所(14:50)〜
近鉄御所駅(15:03/15:10)=[尺土行き]=尺度(16:19/16:23)=[準急阿倍野橋行き]=
阿倍野橋(17:07)
天候 晴れ
参加者 9名
実施日 2019.09.19
松愛会山歩き会 ohki
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