「松下幸之助君生誕の地」碑 筆:湯川秀樹博士
松愛会山歩き会 第206回  
松下幸之助生誕地を訪ねて
高積山 237m 城ヶ峰 255m
千旦駅~松下幸之助生誕地~高積山~城ヶ峰~千旦駅
 4月24日、山歩き会で、松下幸之助生誕地を訪れた。大阪を出発して約2時間で和歌山に到着、和歌山から関西線で二駅目の千旦(せんだ)駅に10時過ぎに到着した。

 JR千旦駅は、ホームだけでほとんどの設備がない。トイレがないので困っていると住民の方がスーパーを案内してくれた。用を済ませ、計画とは逆回りで生誕の地へと向かった。

 高積山・城ヶ峰 千旦より

   「松下幸之助君生誕の地」碑にて
 広い道路に大きな立て看板が建っていて、「松下幸之助生誕地」と記されている。ここから入っていくと、松下公園の前を通る。

 松下幸之助生誕地に到着だ。まず松下家の墓所にお参りする。すぐ横に朽ち果ててきた「松下幸之助生家の松」があった。
 生家に樹齢800年ともいわれる松の木がそびえていて近所では「千旦の松」と言われていたそうだ。この松も昭和41年落雷、昭和45年隣家の火災で根元だけ残ったが今では見る影もない状態になりつつある。

 続いて大きな桜の木があり、「幸之助桜」と記されていた。その隣に小さな桜「むめの桜」が並んでいた。

松下幸之助生誕地案内板

松下公園

松下公園

松下公園

松下家墓所

松下幸之助生家の松

幸之助桜

むめの桜

幸之助桜にて
 「松下幸之助君生誕の地」の大きな石積みの碑がある。碑の文字は、同郷のノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士の筆によるものだ。

 和佐は松下幸之助の生誕の地である。松下幸之助は和歌山県海草郡和佐村字千旦の木に明治27年、8人兄弟の末っ子として生まれた。父は若くして村会議員などをやり顔役で先代から受け継いだ資産家だった。幸之助4歳の時父が米相場に失敗し伝来の土地は手放し、幸之助は小学校を中退して大阪へ丁稚奉公に出るのである。

 そして、やがて松下電器を創業し大きく飛躍していくのである。そして、松下幸之助は、1989年に亡くなるまで94歳の生涯を世界中の人々のために活かした。

 「松下幸之助君生誕の地」碑 筆:湯川秀樹博士

松下幸之助生誕地にて

松下幸之助生誕地にて

(参考) 松下幸之助像 パナソニック歴史観前にて

(参考) パナソニック歴史観
 松下幸之助生誕地千旦をあとに、高積山へと進めた。広々した田んぼの向こうに山並みが見える。左が高積山で中程のピークが城ヶ峰だ。今回は行けなかったが、北側から見ると、富士の形がしていて、和佐富士と呼ばれてそうだ。千旦駅の次の駅、布瀬屋(はしや)駅辺りから見られるそうだ。

 ひたすら田んぼの中を走る道路を延々と歩く感じだ。なかなか山裾に近寄らない。千旦から約40分で高積神社下ノ宮に到着。高積教会と石碑に刻んであったので、下ノ宮ではないと判断し、帰りに寄ることにして高積山へと登り始めた。

高積山・城ヶ峰

高積山へ ここから車で5分とか

高積山へ 熊野古道を行く

高積山へ

高積山へ

高積山

高積神社下ノ宮

高積神社下ノ宮
 先ず道標があり、「高積神社自御本殿 是より八丁」と記されていた。一丁は、90m位と思っていたが、思いとは逆で「109.09メートル」だった。思い込みだが気をつけねばだめなようだ。

 道標の向に、観音堂がありここから登り始める。緩やかな舗装道路が続いている。五丁の道標が出てくると、このあたりは竹藪になってくる。所々に大きくなったタケノコが見られる。

高積神社自御本殿 是より八丁

観音堂

高積山へ

高積山へ 五丁

高積山へ

高積山へ

高積山へ

高積山へ
 四丁を過ぎさらに登ると、福地蔵尊がお祀りしてある。地蔵尊横に大きな石柱があり、「南無阿弥陀仏」と彫られているようだ。お地蔵さんの前で小休止にした。

福地蔵尊

高積山へ

高積山へ

高積山へ 二丁
 三丁、二丁と登っていく。二丁を過ぎると、坂は次第に急になってくる。頑張って登っていく。厳しい登りだ。

高積山へ

高積山へ

高積山へ そっちは行き止まりだよ!

高積山へ 一丁
 一丁まで登ってきた。元気なメンバーは直進して登っていく。そっちは行き止まりだよ!。一丁から右上へと登っていく。登山道と言うか神社の参道は、積層岩が多く見られる。石段などはそのものだ。

 「あと一丁」最後の登りだ頑張って登っていく。みんながんばれ

高積山へ

高積山へ 積層岩の石段

高積山へ

高積山へ

高積山へ

高積山へ
 分岐に到着、梵字が刻まれた大きな石いくつもあり、意味がよく分らないが少し興味を覚える。ここから左に行けば高積山山頂、右に行けば城ヶ峰だ。

高積山へ

梵字の刻まれた石

梵字の刻まれた石

中山明覚

高積山・上ノ宮 城ヶ峰 案内板

高積山へ
 左に進むと石垣と石段が現れ、石段を上がれば高積神社上ノ宮に到着する。石垣を巻いて上がれば、鳥居があり、上に神社がある。高積山の山頂は神社の裏と思われるが、倒木などで荒れていて行けなかった。神社の拝殿をお借りして昼食にした。

高積山へ

高積山へ
 高積神社の由緒説明板によれば、高積神社は和佐山連峰の北側にそびえる高積山(通称高山、高の山)の山頂に位置し、主祭神は「都麻津比売命(つまつひめのみこと)・五十猛命(いだけるのみこと)・大屋津比売命(おおやつひめのみこと)の三兄妹神で素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御子。

 古銭埋蔵地、大正14年本殿前で古銭1万5000枚(中国銭)が発掘された。

 神社の石垣で興味を持ったのは積み石が化石のようであることだ。和歌山県の紀ノ川に沿った東西の地層は堆積岩が多いとのことだったので、多分化石のような岩は堆積岩、積層岩だろう。

高積神社上ノ宮 高積山山頂(標高237m)

高積神社上ノ宮

高積神社上ノ宮にて

積層岩の石垣

積層岩の石垣
 高積山、高積神社上ノ宮をあとに、城ヶ峰へと進める。先ず、先ほどの分岐まで戻り、ここから尾根に沿って進んで行く。すぐに展望ピークに到着、展望は今ひとつだった。

 ここから城ヶ峰へは、登山道が不明瞭で、倒木、雑草などで楽し尾根歩きにはならない。悪戦苦闘してやっと、クマササの中の城ヶ峰山頂、二等三角点に到着した。

高積山山頂をあとに

城ヶ峰へ 展望ピーク

展望ピークにて

城ヶ峰へ

城ヶ峰へ

城ヶ峰へ
 城ヶ峰は、標高255mで二等三角点になっている。古城跡で高積山から500mで「城(じょう)」とも言うそうだ。和佐山城址で畠山義深の城だったそうだ。1360年の南北朝時代古戦場で、土塁、空堀などの陣地跡が残されている。

 2008年に訪れた時には、高積山からの登山道もはっきりしていた。城ヶ峰では、本丸があったとされ、土塁や空堀が連想できそうな箇所があったのだが、今回訪れると、荒れ果て倒木、草茫々で全く登ってきた甲斐がない。歳を重ねて管理する人が少なくなってきたからだろうか。

城ヶ峰へ

城ヶ峰山頂 二等三角点(標高255m)

城ヶ峰山頂をあとに往路を下山

城ヶ峰を下る

城ヶ峰を下る

城ヶ峰を下る

城ヶ峰を下る

城ヶ峰を下る 展望ピーク
 倒木と雑草の山から展望ピークに戻り、綺麗なお花を見て心すっきりだ。分岐まで戻り、ここから往路の下りにかかった。

ツツジ

   

梵字石の分岐

高積神社下ノ宮へ往路を下る

高積神社下ノ宮へ

高積神社下ノ宮へ

高積神社下ノ宮へ

高積神社下ノ宮へ

高積神社下ノ宮へ

高積神社下ノ宮へ

高積神社下ノ宮へ

高積神社下ノ宮へ
 高積神社下ノ宮に無事下山した。朝、高積教会と勘違いして、高積神社下ノ宮が分らず、急いでしまったが、下山してよく見ると、鳥居の横に大きな碑があり、「高積神社」と刻まれていた。残念ながら松下幸之助寄進の碑などが見られなかった。勘違いは本当に怖いものだ。

フジ

高積神社下ノ宮へ

高積山・城ヶ峰

JR千旦駅

高積山・JR千旦駅ホーム

JR千旦駅ほーむにて

高積山・城ヶ峰 JR千旦駅より
 高積神社下ノ宮から広々した田んぼの中の道をひたすら歩いて、JR千旦に全員無事下山した。

 今日は、素晴らしい天気の中、松下幸之助生誕地、和佐、千旦を訪ねられて良かった。そして高積山、高積神社上ノ宮とこれまた良かった。残念だったのは倒木と草茫々の城ヶ峰は残念だった。

 これからも素晴らしい山歩きが続くと良いですね。ありがとうございました。
 
  

コース
 JR京橋駅(7:54)=[紀州路快速]=大阪(8:03)=天王寺(8:21/8:23)=和歌山(9:44/9:55)
=[和歌山線橋本行き]=JR千旦(せんだ)駅(10:02)~🚻~
松下幸之助生誕の地(10:20/10:38)~ 高積神社下ノ宮(11:11)~福地蔵尊(11:33/11:42)~
~一丁(11:53)~梵字石・分岐(11:59)~ 高積山・高積神社上ノ宮(12:05/昼食/12:38)~
分岐~展望ピーク(12:44)~城ヶ峰・和佐山城址(13:06)~ 分岐(13:45)~下ノ宮(14:08)~
JR千旦(14:51/15:26)=[和歌山行き]=和歌山(15:36/15:39)=[紀州路快速京橋行き]=
天王寺(15:55)

参加者 6名 
実施日 2025/04/24 
山歩き会 ohki  
写真協力