思いつくまま

2024.01〜12


 「わくわく」 2024年! 「もうあかん」「出来る出来る」を繰り返し、また新年を迎え80歳になった。昨年末、昔の職場の集まりがあった。そのとき、非常に元気で毎日を送られていいる人と語り合った。60歳を過ぎたら「わくわく」が大事だと。「わくわく」とは、嬉しい、楽しいという心が躍るような気持ちを表す言葉だ。今までもわくわくするような山などを選んで行動してきたが、今年からあえて「わくわく」を表に出した行動をしたいと思う。例えば、昨年笠ヶ岳にに登ったとき、槍ヶ岳の肩にご来光を拝んだ。参加者もわくわくしながらこのご来光に感動した。槍ヶ岳を開山した播髀辮lが笠ヶ岳を開山し、そのとき見たのが、今我々が見た槍ヶ岳の感動だったのだろう。「もうあかん」「出来る出来る」に加えて「わくわく」で素晴らしい人生になるよう頑張りたいと思う。 2024/01/01


2023.01〜12


 「もうあかん」また半年過ぎた! 「もうあかん」「出来る出来る」を繰り返し、半年が過ぎた。山登りも例年に変わらず22回も行った。コロナ禍も少し落ち着いてきたら、今度は異常気象だ。日本中で集中豪雨、特に線状降水帯が出現し、各地で記録的な豪雨による被害が発生している。5月に乗鞍岳の雪山に登ろうと思ったが前日からの豪雨で春山バスは運休、JR中央線「しなの」も運休で行けなかった。今日も九州で大雨、被害が発生している。もうあかんと地球が言っているようだ。ロシアのプーチンが原子爆弾のスイッチを入れれば、地球はもうあかん。自己主張ばっかりしないで世界中みんなで仲良く暮らせないものかと願う。「もうあかん」「出来る出来る 必ず出来る」 どっちやねん! 2023/07/10

 
 新年を迎えて 2023年(令和5年)「もうあかん」と言いながら頑張って皆さんと一緒に楽しい山旅、厳しい山旅をしてきました。今年79歳、もう一年頑張れば、80歳です。友歩会を始めて35周年になりました。今年も皆さんと一緒に楽しい、ちょっと厳しい山旅をしたいと思います。下記の「出来る 出来る 必ず出来る」をモットーに頑張ります。 2023/01/01
 「出来る 出来る 必ず出来る」を座右の銘にしてきた。20代の頃、友人からこの文言のプレート頂いた。行き詰ったときこの言葉を信じて今まで挑戦してきた。この文言は私の宝物だ。 2019.03.23 
出来る 出来る 必ず出来る  やる気が あれば 必ず出来る
出来ないと思えば できない  出来ないと考えず 出来ると信じ
永遠に自分は進歩したい  出来る 出来る 必ずできる

2022.08〜12

 
 国会議員、大臣になる目的は! 国会議員は、国家の最高決議機関、国会を構成する議員だ。通常有権者によって選出された代表者だ。しかし、どうして国会議員や大臣になるのだろう。国民のために働きますと言う。しかし、国会議員、大臣になると、もう仕事は忘れてしまう人が多い。また、決めたことが守れない政治家が、法律をつくる資格があるのだろうか。やっぱり、国民のための仕事に関係なく、国会議員に、大臣になりたいだけのように思う。寂しいかぎりだ  2022/11/22

 
 影が薄くなった総理大臣! 安倍元首相の国葬をいち早く決定して、多くの議員や国民に丁寧に説明した(本人の思い)。しかし、国民のみんなが納得できていない。安倍元総理は、「アベノミクス」を軸に活躍された。しかし新型コロナウイルスという予想外の出来事で足をすくわれた。最近日本に岸田総理はいるのかいないのか、静かな日本だ。世界を相手に安倍元総理のあとを次いでいるのかまねをしているのか、困ったもんだ。エリザベス女王が逝去され世界中の人々が思いをはせた。まもなく、日本では安倍元総理の国葬が行われるが、やるからにはイギリスのように、世界中の人々から惜しまれる、そんな国葬になってほしいと思う。  2022/09/23

 
 総理のコロナ対応見直しで担当大臣は! 政府の判断が速く、総理が見直し案を表明した。しかし、府県の長からもっとよく考えて提案してほしいと意見が出された。ここで問題なのは、内閣の担当大臣の知識の無さが露呈している。総理から言われたから、はいそうします。担当大臣は何をしているのだろうか。たぶん大臣の肩書きがほしいだけでなんとか1年ほど過ぎれば、○○大臣をやったと自負するためのことだろうか。日本のため国民のためなど考えている国会議員はごく少数ではないだろうか。お金儲けのために国会議員になるのはやめてほしい。国会議員の定員は、50名ほどで十分事足りるのではなかろうか。  2022/08/31

 
 自分のしたことに記憶がない大臣! 旧統一教会との関連で、過去の自分の行動を覚えていない大臣がいる。1年たったら記録は破棄するらしい。大臣の仕事も1年たったら廃棄するので適当にやっているらしい。高額の報酬をもらってこんなことでいいのだろうか。本当にこんな国会議員に政治を託して良いのだろうか。

 しばらくこのコーナーはお休みしていましたが、日本の政治が余りにもひどいので、ぼやくしかないですね。  2022/08/30

2021.07〜09

 
 TOKYO2020
東京オリンピックが7月23日1年遅れでいよいよ始まった。新型コロナウイルス感染対策で無観客試合になり、少し物足りないのではと思っていたが始まってみると、試合そのものTV放映になり、選手と一緒になって楽しめるようで思わず手を握りしめてしまう。卓球はじめにメダルを獲得し始めた日本、順調に活躍しているようだ。悪条件の中、力を合わせて大会を成功に導いてほしい。 2021/07/27 

 
 東京オリンピックまもなく始まる! 世界中で新型コロナウイルスが蔓延するなかの東京オリンピック。期待と懸念が交錯する大会だ。選手団、関係者が日本にやってくる、バルーン方式で感染対策をしようとしているが本当に大丈夫だろうか。数カ国が訪れ、ウイルスの陽性や濃厚接触者でおたおたしており、穴の開いたバブルから外出する人などあり、当局は対策を考えますとのこと。ここ数日で200ほどの国や地域からの選手団がそろってやってきます。もうここまで来たらやるしかない。 2021/07/15 

2021.04〜06

 
 ウイルスに感染し重傷の国会議員
 国会議員は立法府の国民の代表だ。しかし国会議員の一番の仕事は選挙に勝つことで、与党も野党もほぼ同じだ。新型コロナウイルスで緊急事態宣言が最初に出されてから1年あまり、国会議員は何をしたのだろうか。野党は1年前さくらを見る会の議論で終始していた。その後も同様の案件で時が経ち、今は静かに高額報酬をもらって静かにしている。
 新型コロナウイルス感染者が増えどうにもならなくなってきている。ワクチン接種するにも医者がいない、重傷者のお世話もできない地獄が迫ってきている。何もしない国会議員さん、重傷者のお世話は看護師でないとできないことはない思う。急所はしっかり押さえ、研修をつんだ補助者でもできるだろう。今度は、ワクチンを接種の問題だ。1ヶ月も研修を受ければ相応の業務は可能と思われる。これらに類似した法律がないのでやろうとしてもできない。そのために国会議員が法律改定などやるべきだ。国民の代表としてしっかりしてもらいたい。  2021/04/22 

 
 雪のない雪中登山! さくらの開花と入学式は長く続いた日本の原風景だった。ところが近年さくらの開花が相当速くなって今年は平年に比べて10日ほど速くなってきた。4月初めにお花見会をしてさくらが全く咲いていなく、さくらの枝に造花をくっつけてやったこともあった。今年2月に観音平霧氷登山を行ったが雪は全くなく当然霧氷はなかった。比良山雪中登山を3月20日に行ったが、雪は全くなく、スキー場の一部の人工雪だけだった。こんな状況になったのは地球温暖化が主たる原因だろう。美しい日本の四季がいつまでも続いてほしいものだ。 2021/04/14 

2021.01〜03


 東京五輪・パラ組織委 森会長辞任劇 東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森会長は女性蔑視発言で会長辞任に追いやられた。森さんは83歳、さまざまな時代を生きてこれらた。日中戦争時に生まれ太平洋戦争を経て育ってこられた。私は戦中生まれ、現在のような自由平等の世の中で育ったわけではない。いじめや体罰は通常のなか育ってきた。現在はないと思うが宿題を忘れると廊下に立たされたり、大きな木の三角定規で叩かれたりは日常茶飯事だった。昭和22年に日本国憲法が施行され男女平等は言われ始めたばかりで当時は差別は当たり前だった。森会長はそんな時代に教育をうけられた一人で、現在の国会議員の年長者はそんな時代を経て今に至っていると思う。今回は失言ではなく身に染み付いたことが言葉に出たのであろう。同世代の国民のほとんどが同じではないだろうか。菅総理は、ほとんど原稿を読んでおられるが、即答が度々要求されるとえらいことになりはしないかと思う。新しい時代を生き抜いていくために年長者は特に慎重な行動、発言が大事ではないだろうか。  2021/02/13 


 地球はどうなるの! 新型コロナウイルスが発生して1年余が経過した。全世界で1億人以上が感染し230万人が死亡している。日本では41万人弱、死亡者6400人余りになっている。世界中でワクチンの投与が開始されたがまだまだ安心できない。地球も今どうなっているのだろうか。温暖化の影響で生態系が大きく変わりつつある。北極の氷がなくなり、米の生産拠点になる北海道でも米ができなくなる。本州は赤道直下の気象になってくるかもしれない。人生80年、90年時代になったがコロナウイルスにかきまわされて無意味な時間が過ぎていくような気がする。せっかく長生きして人生を有意義に過ごそうと思っていたのだがそれもままならない時代になってきた。学生は学校に行けない、若い人も自由に活躍できない、年配者は先が短くなる。早く地球を救う、賢者が出現してくれることを望むばかりだ。  2021/02/09


 閣僚・国会議員の信頼性評価「1点」 調査機関の調査で、閣僚・国会議員の評価は「1」だったそうだ。子供の頃成績が「1」「2」だったら親に怒られた人が多い。立法府の国会議員は新型コロナウイルス蔓延の中、日本一高い報酬をもらって、国会も開かず会食をしている。どこかの知事さんも国会議員の真似をしたのか大勢で会食、詰め寄られると社会対応とか、困ったことだ。今回第3波の感染状況になり2度目の緊急事態宣言が東京地区に発出された。国民に選ばれた国会議員は、範となって新型コロナウイルス感染対策に尽力してもらいたいものだ。早く国会を開いて責務を果たして欲しい。 2021/01/09 


 令和3年を迎えて 新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。令和3年(2021年)を迎えて、残念ながら昨年に引き続き新型コロナウイルスにふりまわされる一年になりそうだ。なんとか感染対策をして、行動しなければならないと思う。喜寿を迎えじっとしていても歳をとる、,歳を重ねると若い頃のような行動ができなくなる。今年の目標は槍ヶ岳に登頂することだ。最初に槍ヶ岳に登ったのは、1966年で夜行バスで上高地入りし、夕方槍ヶ岳山荘にたどり着いた。その後1999年、2003年と合わせて7回登頂した。槍穂高連峰の醍醐味は実に素晴らしい、さすが日本アルプスだ。今年は、そんな槍ヶ岳に挑戦しようと考えている。今回は夜行バスで上高地入りし、槍沢ヒュッテで1泊して槍ヶ岳に登頂しようと思っている。行くとなると欲が出て、天狗池に立ち寄り逆さ槍を見たいと思う。昨年は、横尾から北穂高岳まで登れたのだから、槍沢まで行けば槍ヶ岳は登れると思う。夏までコロナウイルスにも負けず体力を鍛えたいと思う。  2021/01/01 

2020.10〜12


 頑張った友歩会 2020年恒例の伏見五福めぐりから始まり、大文字山から狛ねずみで有名な大豊神社にお参りした。2月には霧氷の高見山は美しかった。3月の「かにかに登山」は由良ヶ岳と野坂岳でカニをお腹いっぱい頂いた。4月に小塩山へカタクリを見に登った。そして新型コロナウイルスは発生して緊急事態宣言は発出等々活動を休止した。6月くろんど園地、7月六甲地獄谷で夏山トレーニング、長雨と豪雨で水量が多くロックダーデンの一般コースになった。いよいよ夏山、槍ヶ岳へ表銀座コースに挑戦した。しかし、中房温泉登山口から燕岳、大天井岳へと進むにつれ風雨が厳しくなってきた。日本列島に前線が1ヶ月以上停滞し、令和2年7月豪雨となった。朝陽が見られたのもつかぬ間、雨がきつくなりこれ以上前進は無理と、一ノ沢へエスケープ、風と、雨とジャブジャブのなか必死で下山した。8月赤子谷は沢登りのまね事で大いに楽しんだ。9月に播磨アルプスの岩山を越えたが熱中症気味になり大変だった。そして穂高岳へ、ほぼ良い天気で北穂高岳に登頂、厳しかったが登りきった。北穂高岳から奥穂高岳の縦走は圧巻だった。特に北穂高岳から涸沢岳の岩峰の縦走は、厳しいものがあった。悲壮な顔が涸沢岳に着くと、喚起に溢れた顔になっていた。みんな3点支持を着実に守り、横着することなく一歩一歩進んだ成果だろう。11月は、久須夜ヶ岳から海に下り「とらふぐ」でお腹いっぱいに、定番の愛宕山そして占めは六甲赤子谷、座頭谷とみんなよく頑張ったと思う。来年も新型コロナウイルスに負けずに頑張って挑戦しよう。ありがとうございました。  2020/12/30


 ガースーとメルケル ガースー(菅首相)は、Go−Toトラベルを年末年始に中止することを発表した。官僚は急な決定でおお慌てとか。企業のスタッフだと予想される対応は事前に用意しているはず。観光業界は大慌てでキャンセルの処置に追われている。予約が殺到すれば嬉しい悲鳴だがキャンセルでは仕事が増えるだけだ。中止発表の直後から、ガースーは8人ほどで忘年会に参加していた。対照的なドイツのメルケル首相は、ウイルスというファクトから目を背けることができないと、魂の演説をおこなった。この演説が世界中に拡散し感動を呼んでいる。言葉が分からない私にも心の叫びが通じてきた。それに対して、ガースーは5人以上の会食は止めましょうと言いながら忘年会とは、国民に示しがつかないと思うのだがみなさんはどうでしょうか。  2020/12/17


 目に見えない敵との戦い 春から新型コロナウイルスとの戦いが続いている。菅内閣が9月に発足、しばらく成り行きを注視してきたが国民の思いを満たしてくれるにはほど遠い感じだ。第3波が収まる気配が感じられない中、Go-Toトラベルなどの経済対策が中断されることになった。しかし中断の判断が遅すぎたと思える。菅内閣に変わってから3ヶ月、内閣は何をしていたのだろうか。インフルエンザ等対策特別措置法などの法律の審議や改訂など野党を含む国会議員は、安倍元総理の桜を見る会も重要とは思われるがそんなことに終始し、国民の命を守る法律整備等がないがしろにされている。都道府県知事と国民の代表である国会議員、内閣が、新型コロナウイルスの対応に一丸となって欲しいものだ。国がなすべきこと、知事がなすべき責任と権限が曖昧すぎて結果的に後手後手の対応になっている。もうすぐ、年末年始になる。ただただ感染が収束することを願うだけだ。  2020/12/16


2020.07〜09


 菅義偉内閣発足 令和2年9月16日、菅内閣が発足した。安倍内閣の施策を継承し、新型コロナウイルスの対応、経済の立て直しが先ず第一で進めるという。目に見えない小さなウィールクスによって地球上の人類が窮地に追いやられている。日本の感染者は8万人弱、死亡者1500人、全世界で見れば3120万人感染で96万人以上が死亡している。台風、豪雨、猛暑と異常気象とも思える苦難を乗越えて涼しくなり秋がやってくる。問題は、治まりかけた新型コロナウイルスに加えインフルエンザの流行だ。政府はGoToトラベルなどのキャンペーンをして経済救済をしようとしている。ところで各種の収容人員を大きく減らして運営、営業されているがこの先、イベント、プロスポーツなどの料金、ホテル、交通機関、飲食などなどの料金はどうなっていくんだろうか。国民の生活はどうなっていくのだろうか。菅新内閣に大きな期待をしたい。  2020/09/23


 内閣や国会議員は幸せだね! 全国の知事さんは、こまねずみのように働いているのに、国は何もしないのは、もしかしたら何もできないのかもしれない。国会議員は日本一の給料をもらって、立法府の仕事ができないのなら、早々に辞めてもらいたい。そんな折、安倍首相が病気で内閣総理大臣を辞任されることになった。急遽総裁選挙で慌ただしくなってきた。野党も慌てて党の合体などを模索している。
 新型コロナウイルスは、依然として感染が続いている。ワクチンの開発が世界中で進んでいるが、ワクチンの検証が感染機会の多い医療従事者で効果を確かめればいいといった報道がされていたが、とんでもないことだ。そこで提案だが、何もしない国会議員が検証に参加すれば国民のために役に立ち見る目が変わるだろう。  20020/09/01 


 雨雨雨豪雨雨豪雨雨雨長く続いた雨! 6月末から雨が降り続け、7月に入ると梅雨前線が日本列島に居座り、西から東から流入する大量の水蒸気が九州から西日本、東日本へと集まり広い範囲で大雨になった。特に、3日から1週間ほど熊本県に局地的に猛烈な雨が降った。大規模な線上降水帯が発生し、熊本県を中心に九州に甚大な被害が発生した。その後も線上降水帯が発生し、岐阜県、長野県で九州と同様に河川の氾濫が起きた。続いて中国地方にそして月末には東北地方に梅雨前線が停滞し、秋田県、山形県で豪雨になり大きな被害が発生した。1ヶ月にも続く豪雨を、「令和2年7月豪雨」と名付けられた。
 7月末もういいだろうと、槍ヶ岳表銀座縦走、8月初めに立山縦走を計画実施した。いずれも初日の天気は素晴らし青空で大いに期待されたが、残念なことに表銀座縦走は登山開始から雨が降り大天井岳でエスケープし下山、立山は一夜開けると雨風強し立ち往生、結果帰阪となった。
 日本の気象状況は、ここ数年で大きく変化してきている。温暖化のせいだろうか。加えて新型コロナウイルス感染で世界中大変なことに、そして酷暑がこれから続きそうだ。安心できる生活を取り戻したいものだ。  2020/09/14 


 ソーシャルディスタンスの国会! 役に立たない国会議員、衆院465人、参院248人は辞めていただいて、国民のために働く少数精鋭の議員で構成すべきだ。議員がたくさんいるため、昼寝議員や読書議員など立法府に不必要な議員が多い。国民の生命を左右する新型コロナウイルスもそっちのけで何もしない議員とは一体何なんだろう。この際、国会議員定数を半分以下にし、国会議事堂のソーシャルディスタンスをはかるべきだろう。また、国の仕事、地方の仕事を互いになすりつけないで国民のために何をなすべきかを考え行動して欲しいものだ。  2020/08/03 


 スティホームになった国会議員! 新型コロナウイルスの第一波?が一段落したところで、国会も閉会になった。特別措置法によって緊急事態宣言が出された。しかし問題点が続出し大変なことになっている。都道府県知事にすべてをおしつけて知らん顔してスティホームしている内閣や国会議員。国会が閉会してたくさんのボーナスをもらって、県またぎ解除で地元に戻って先生と言われて喜んでいるのだろうか。新型コロナウイルスの感染はまた刻々と迫っているとは思わないのだろうか。このチャンスに特別措置法を改正して事態に備えるという考えは国会議員にはないのだろう。ボーナスをしこたま貰ったばかり、国民のことなんか考えていっれるか。「零和2年7月豪雨災害」が発生、いち早い対応が望まれるが、国会議員はスコップを持って現地に入ろう。すでに大分のスーパーボランティアおじさんは現地で活躍していますよ。  2020/07/10  

2020.04〜06


 70日ぶりに電車に乗った! 新型コロナウイルス感染予防で自粛生活が続いていたが、70日ぶりに電車に乗って私市に行った。沿線の方々とくろんど園地へ行った。久しぶりの山歩きでみんな大喜びだ。京阪私市駅から歩き始めて月の輪滝へ、そして沢沿いに登ってすいれん池に到着した。残念ながら多分に漏れず新型コロナウイルスの影響だろうか手入れができていないので草ぼうぼうになっていた。さらに沢の上流のくろんど池に到着、ここは自然のままの緑に囲まれた湖畔は美しかった。少し戻ってさわわたりの道を八ツ橋へ、途中展望台に立ち寄り昼食にした。八ツ橋には、水芭蕉が大きく成長し草むらになっていた。当初予定では水芭蕉やカタクリの花が楽しめたのだがこれまた新型コロナウイルスで叶わなかった。BBQ場では少し見頃を過ぎたヤマボウシが緑の森に輝いていた。一番高所と思われる送電線鉄塔したから獅子窟寺へと下った。途中、大きな八丈岩に登り少しスリルを味わった。JR河内磐船に戻り、駅前でコンビニで買ったビールで乾杯した。今までの日常とは違って違和感が大きい。 2020.06.18 


 アベノマスクと給付金10万円は新型コロナウイルス感染の第2波、第3波までには届けますよ。
なに不十なく大学をでて国会議員や内閣になった皆さんは国民のことをなんと思っているのだろうか? 加藤厚労大臣の誤解発言で多くの方がPCR検査が手遅れになり亡くなられた。緊急事態宣言解除間際に西村担当大臣は、上から目線で国民に緊張がたるんでるの発言。新型コロナウイルス対応に重視すべき国会では検察官の定年延長について今審議する時でしょうか。安部総理昭恵夫人が小池知事に補償がないと店が潰れると怒りをぶちまけた。補償がないと経営できない店が増えているのでそれを憂いたのかと思ったら、自分の神田の居酒屋で補償が欲しいだけだ。緊急事態宣言は解除されたがこれから生きていくのも大変だ。健康診断や通院も危険がいっぱいの場所になりどうしたらいいんだろうか。手遅れの病気になったら大変だ。こまったな〜あ! 2020.05.28 


 新型コロナウイルスとのお付合い! まず新型コロナウイルスの収束までに少なくとも3年はかかるだろう。山登り大好きの人達にとって3年間は、山小屋に泊まるような山登りは、感染を考えるとかなり厳しいだろう。私のように後期高齢者になると、山登りができる期間が指折りできるくらいのあと少しだ。冒険家の三浦雄一郎さんのように80歳でエベレスト登頂に成功、でも私たちには無理だ。そうこうするうちに、末期高齢者になったらお迎えを待つだけになるような気がする。ということは、あと数年の山登りは、新型コロナウイルスを小屋の宿泊者に感染させる、または感染させられるのを覚悟の上で登るしかない。これからの救難ヘリコプターも感染対策した救助隊、機材になってくるのだろう。感染すると、肺炎になることが予測されるが、標高が2000m近くになると、気圧が低くなり、低酸素になり、重症化しかねない。ここ数年が山登りのできる年齢でもあり、近郊の日帰り登山しかなさそうだ。でもアルプスにも登りたい、「3密」を可能な限り守って新型コロナウイルスに打ち勝つしかない。 2020.05.10 


 内閣や国会議員に緊急事態宣言を! 国民に緊急事態宣言を発令したら内閣や国会議員の責任は果たしたようだ。国会や予算委員会などの中継を見ていると、我が国の現状とやるべきことが分かって行われているのかが疑問に思われる。与党も野党もこの国難をどうして乗り切るか前向きの激しい議論が行われてしかるべきだと思う。国会議員、特に野党の発言は、単に不満をぶちまけているだけの感じで、安部総理をいじめて遊んでいるような感じがする。そうこうする中、緊急事態宣言の延長が発表された。延長に対してどのようにしていくのか、どうなったら解除するのか全く国の指針がない。新型コロナウイルスに対して国民に訴えた宣言の筈だが、本当は、内閣や国会議員自身に政治に対して緊急事態宣言を国民から出したいと思える。国民はあてどもなく1ヶ月を過ごし、お店はバタバタ倒産、破綻の緊急事態宣言が必要になってくるのではなかろうか。 2020.05.05 


 試練と憧れ この言葉の碑を見たのは、剱岳登山の登山口馬場島だった。後期高齢者になり、若い頃登った槍穂高岳の再登頂を計画した。ところが新型コロナウイルスが発生し猛威を振るっている。今のところ外出を控え、三密に注意して感染を防ぐしかない。山小屋に泊まると、一枚の布団に2人3人一緒に寝ることになる。いつ感染するか、感染させるか、お互い私は大丈夫だと思っているだけになるだろう。大変なことになってきた。憧れの槍穂高岳には、試練としてのトレーニングを積むことだと単純に考えていたが、世界で猛威を放っている新型コロナウイルスも試練に加えるには余りにも過酷すぎる。このウイルスの試練は少なくとも数年続くだろう。研究者の皆さんにいち早く、治療薬とワクチンの開発をお願いするしかない。それまで待っていると、槍穂高岳に登る体力がなくなりそうで心配だ。なんとかコロナウイルスに負けないで体力、気力を維持していくしかない。後期高齢者頑張れ! 2020.04.20 


 たらい回し たらい回しとは、明治、大正時代にたらいを足などで回す曲芸で、海外でもその芸が評価され欧米の文化交流が広がっていった。トーマス・エジソンが撮影して映像に残っているとか。ところが新型コロナウイルスが発生し始めて、病院のたらい回しが始まった。患者のもとへ救急車が駆けつけた救急隊員が、受け入れ医療機関の問合せに何時間もかかる例が多く発生し始めている。個人で病院を探しても同じで、電話ではほとんど断られてしまう。病院に行くためには、良心に反してコロナウイルスに関係ない素振りで病院に潜り込むしかない。一刻を争う病気だと死ねということなのか、病院が悪いとは言わないが、結局政治が悪いためとしか言いようがない。国は有事に対する基本が全くなっていない。国の最高責任者の夫人がコロナウイルスの警戒を呼びかけた翌日、大分旅行を50人ほどでしている。コロナで予定が全部なくなったのでどこかに行こうかということだったらしい。国の責任者が自分の妻のコントロールもできないのに、日本の国をコントロールできるのだろうか。少なくともここ1年は、救急車で運ばれるような病気はしないよう摂生しよう。 2020.04.18


 内閣と厚労省が新型コロナウイルスに感染しました 緊急事態宣言を出して知事になすりつけて、ほったらかしの内閣、閣僚、厚労省および各省庁のトップが全員新型コロナウイルスに感染しました。したがってこれからは知事を中心にウイルス対策を行います。引き続き医療関係者のご苦労に心から敬意を評したいと思います。日本のPCRの検査方法が遅れている、厚労省の感染していない方に韓国などに数日出張して勉強してきてもらったらどうだろうか。日本は技術立国などと言われたが、なぜPCR検査ができないのか理解できない。中国で10日程で簡易病院を作っているのを見ていた日本人は中国を変な目で見ていたような気がする。陽性の人が感染に気づかず病院を訪れ、病院で院内感染の発生している。あなたのお家にいろんな病気を持った人が次々と訪れてこられたらあなたはどうしますか。 2020.04.16 


 のんきな日本の総理大臣 7府県に緊急事態宣言をだし丁寧に国民に説明し感染が収まるようにとのこと。総理大臣は知事に言葉だけの権限を与え、星野源さんとコラボしてくつろいでおられる。感染対策本部長の大臣、国民から見ると何も分かっていななく、保身ばかりが目につく。いいとこの坊ちゃんとお嬢さんの総理大臣夫妻、出世街道を走った灘高そして東大のエリート大臣にこの難局を宅することができるのだろうか。知事のみなさんが必死で対応されている、また国の指示を待たず独自で対応している知事さんもいる。中身のはっきりしない緊急事態宣言をだし、知らん顔の国は本当に国民のことを考えているのだろうか。与野党を問わず国民の代表である国会議員はなにをしているのだろうか。野党の皆さんは、桜を見る会の議題も頓挫したのでやることがなく暇なんだろうか。今日も総理は、星野源さんの歌を聴きながらコーヒタイムでくつろいでいるのだろう。 2020.04.14 


 緊急事態宣言 新型コロナウイルスの感染が拡大し、緊急事態宣言がだされ3日が経過した。感染が世界中に拡大し、180カ国以上に広がり、感染者は140万人以上、死者が8万人以上と凄いことになっている。アメリカでは40万人を超える感染者がでている。日本も5300人以上の感染者が出ているがこの状態で医療崩壊が心配されている状態だ。今年に入って感染が拡大し始め、4ヶ月も経ってやっと緊急事態宣言がでた。数ヶ月かけて対応準備が進んでいたらいいのだが、宣言が出てから始め出したようにも思える。国会議員は何をしているのだろうか。安倍総理のさくらを見る会の議論に終始し、国民のための立法府としての役目は二の次になっている。本当に困ったことだ。とは言え、NHK-TVの画面には、「大阪・兵庫 外出自粛を」が表示されている。庶民にできることはこれしかないので外出を控えた生活を1ヶ月頑張ろう。 2020.04.10 


2020.01〜03


 新型コロナウイルス 中国武漢市で発生した新型コロナウイルスはたちまち全世界を襲った。一番困るのはどこで感染するかわからないことだ。とにかく人が集まる混雑したところが危険だとされている。そんなわけで、いろんな計画が実施できないのが残念だ。友歩会のお花見会も残念ながら中止にした。大相撲3月場所は無観客で行われた。観客がいない土俵はただひたすら相撲をとるだけで盛り上がらない。スポーツ、演劇、音楽、お祭り、行事に観衆がいないのは信じられない。やむなく中止になったり、人の往来が制限されたりとかで、経済は混迷を深めている。なかでも東京オリンピック、パラリンピックは、少なくとも延期はやむを得ないだろう。日本はもとより世界の経済がどうなっていくのか、目にも見えないウイルスにどう打ち勝てばいいのだろうか。 2020.03.24



 令和2年を迎えて 令和元年大晦日から三ツ峠山に登ってきました。山頂に夕暮れ近くに到着、真っ赤に焼ける三ッ峠山・開運山と、夕陽に映える富士山が望めました。素晴らしかった令和元年が暮れていきました。
 令和2年、初日の出を楽しみに開運山山頂に登りました。初日の出は雲がかかってくっきりした太陽は拝めませんでしたが、太陽の大きな渦を感じる力強いパワーを頂きました。その後、初富山が開運山の尾根筋から河口湖まで堪能しました。富士山のように雄々しく、みんなから親しまれるような人になりたいと今更ながら思う。 2020.01.20


 令和元年を振り返って 平成31年の4月までは和泉葛城山、六甲山は塩谷から鵯越を歩き、笠形山、周防アルプス、高取山から耳我山系、横山岳などに登った。2月の生駒山の帰り温泉でレジオネラ菌にやられ肺炎で3週間入院した。令和元年になり、5月からは体調も戻り、残雪の蝶ヶ岳、トムラウシ山、木曽駒ヶ岳、宝剣岳、三ノ沢岳に、8月には白馬岳縦走、鑓温泉は楽しかった。クラシックルートから霞沢岳に登り上高地へ、雨飾山、立山縦走、北穂高岳のゴジラの背から登った。来日岳、真妻山、夕陽の生石高原、道後山、比婆山、三瓶山も楽しかった。愛宕山、六甲山そして七洞岳などなど楽しい山旅にあふれた令和元年だった。令和2年も元気で山登りを楽しめたら素晴らしいと思う。元気で頑張ろう!  2020.01.01 


2019.10〜12


 大迫力の吹奏楽 久しぶりに吹奏楽を聞くチャンスがやってきた。山登りの友人がクラリネット奏者でメンバーの北河内楽団の発表会に参加した。素晴らしい大迫力の演奏を2時間あまり堪能した。いつもは静かな山登りを楽しんでいて、鳥の声、風の音、木々の触れ合う音、水の流れの音などが日常的な音の楽しみだが、今回吹奏楽を聞いて大迫力にびっくり。耳の中の虫がびっくりして飛び出してきそうだ。たまには、いつもと違うことを体験すると新しい感動が得られる。歳を重ねると行動範囲が小さくなるができるだけいろんなことに挑戦していきたいものだ。  2019.12.10 



 昔と今と 先日、北穂高岳に東稜ゴジラの背から登り、南稜を涸沢に下った。そのあと、上高地へはパノラマコースを下った。パノラマコースの入口には、「道幅が狭く、崩落箇所のある難所です。安易に通行しないように」等が記されている。昔行ったの時の記憶では、危険なところはあるが水平の巻道だと思っていた。ところが絶壁の沢部分など高巻きが考えられないほどあり、体力が不足してきた。要は、簡単と思っていたが誠に厳しいコースだ。帰宅後以前の様子を調べると、1999年の涸沢の紅葉を楽しんだ帰りにここを通った。なんと20年も若い頃の記憶だったのだ。今回は少し厳しかったが、屏風の耳まで登れて完歩できた。昔と同じような行動はできないが、可能な限りチャレンジしていきたいと思う。  2019.10.01


2019.07〜09


 試練と憧れ トムラウシ公園へ景色を楽しみながら下り、ここからトムラウシ山の山頂を目指して登っていく。緑のトムラウシの大地に特徴ある岩が点在し、さらに残雪があり、その奥にトムラウシ山がそびえている。頑張って体力をふりしぼって登っていく。この山では途中、リタイヤすることはできない。もし、動けなくなって一人になれば、熊さんがやってくるかもしれないのでなにがなんでも皆んなに着いていくしかない。トムラウシ分岐から標高差170m、ストックを出して必死で登る。11時10分トムラウシ山に登頂。残念ながら山頂に立つ頃から雲が出始め、360度の大展望は望めなかった。山頂をあとに往路を下山、コマドリ沢からの急登が一番心配だったがなんとか登り返しができた。17時15分登山口に全員無事下山した。素晴らしいトムラウシ山の大自然に包まれた山旅、体力の限界すれすれ、憧れはなんとか試練、体力で達成できた。歳を重ねると、憧れの山には限界がついてくるが、可能な限り乗り越えて山登りを続けていきたいと思う。(終わり) 2019.08.08



 試練と憧れ 以前「試練と憧れ」について述べたがあれから1年、先日トムラウシ山に再度挑戦した。最初は2006年に登ったが、往復14.4km、13時間の長時間の山旅だった。しかし天候があまり良くなく下山時には雷鳴が轟く集中豪雨で生きた心地がしなかった。今回、トムラウシ山の大自然に再挑戦した。幸い天候が良く、おおむね晴れた日の登山になった。登山口を4時30分出発、13時間の長丁場だ。山頂まで3ステップで、カムイ天井に5時45分、トムラウシ山は遥か遠く幾重の尾根の向こうだ。標高差100mの急斜面を下ると、コマドリ沢でここから雪渓を登り、ごろごろ岩のガレ場を登っていく。ナキウサギが応援してくれるが姿は確認できず。8時40分前トム平に到着、しばらく登ってトムラウシ公園へと下っていく。正面にこれから登るトムラウシ山がそびえている。実に素晴らしい景色で大自然を満喫する。 (続く) 2019.07.30

2019.04〜06


 鈴鹿の雲ノ平(2) イブネに登った。甲津畑から千種街道を標高差610m余りを登ると杉峠に到着。雨乞岳とは反対の尾根を進み、ピークを右折してイブネへと道をとる。しばらく下ると佐目峠で正面になだらかなイブネの山容が見えてくる。佐目峠から標高差約100mを登り返すと、別天地に到着する。広い広い台地のような山頂で、360度の大展望で、一面苔に覆われていて、所々に背の低いシロヤシオやアセビなどの木がある。山頂から霊仙山、御池岳、藤原岳、釈迦ヶ岳、三国岳、御在所山、鎌ヶ岳、雨乞岳などの山々が望める。アルプスの雲ノ平のイメージを小さく、小さくしたジオラマのようだ。イブネには池塘はないが、苗場山のこれまたミニミニ版のようで実に素晴らしい。テントを張った跡があったが、ここでテント泊、さらに素晴らしいと思う。みなさん一度は訪れたい山の一つです。ただ、この美しい景色を壊さないよう心がけましょう。(終り) 2019.06.06 


 鈴鹿の雲ノ平(1) イブネに登った。イブネという山名は、全く知らなかった。ツアーの案内に「鈴鹿の雲ノ平」とあったので興味を持って参加してみた。歩き始めると案内板があり、これから登る道は千種(千草)街道だ。千種街道と言えば、多くの人に知られている、「信長の千種越え」は有名だ。義弟浅井長政の反旗にあい、信長は岐阜に帰ろうとしたが江北は浅井勢がおさえており、八風街道も封鎖され、ほかに帰路がなかった。日野や甲津畑の人の助けにより千種街道を越え、岐阜に戻ろうとした。しかし杉谷善住坊に鉄砲で狙撃されたが傷はかるく、無事岐阜に戻った。また、浄土真宗の蓮如上人の隠遁縁起でも有名な街道、大正から昭和にかけて鉱山(主に銅を産出)で栄えたとも言われあちこちに説明版がある。そんな千種街道を杉峠まで登った。(続く) 2019.06.03 


 10連休 日本中がゴールデンウィーク10連休の話題でもちきりだった。4月27日から5月6日の10日間だ。5月1日が、皇太子殿下が新天皇に即位され、新元号「令和」が施行された。改元日の5月1日をその年の1回限りの祝日扱いにする特別法が成立したからだ。連休を十分楽しんだ人、連休をもてあました人、連休で仕事の日が減り収入源で困った人、連休で出勤日が増えた病院などの人、観光地などの働き詰めになった人、家でごろごろされ仕事が増えた主婦などなど色々と話題になった。そんななか家でごろごろして連休の混雑の過ぎ去るのを待った。10日から上高地、蝶ヶ岳に行ったが上高地はがらがらで、少し拍子抜けの感じだった。従って電車、バスはもちろんロッジや山小屋も空きすきだった。連休は、程々のながさであったほうがよさそうだ。 2019.05.24


 令和元年5月1日
 新しい元号「令和」の始まりです。安倍首相の談話によると、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味を込めたと説明された。希望は、そうあって欲しいと国民皆の思いだろう。しかし、日本は少子高齢化社会に突入しており本当に思い通りにいけるのだろうか。バブル崩壊後、平成時代に経済を再建しきれなかった。巨額な財政赤字などや日銀の異常な緩和という時限爆弾も抱えており、日本経済の先行きは楽観できない。安倍首相談話のようにはいかないのは誰しも思うことだ。国民一人ひとりが、引き締めて将来に向かって邁進していくのが寛容ではないだろうか。 令和元年(2019.05.01


 令和 元号が「平成」から「令和」に5月1日から変わっていく。「令和」は、万葉集の梅花の歌三十二首「初春の令月にして 気淑く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」から引用された。一方、日本の国花は「桜」であるが、桜を思わせる記録は日本最古の古事記だそうだ。その後平安時代に遣唐使が廃止されて以来、古来の文化に注目し梅より美しい桜が台頭してきた。極めつけは安土桃山時代に豊臣秀吉が吉野や醍醐でのお花見会だ。国花やお花見は桜になったが、新元号は梅ということで日本古来の桜と梅がうまく調和して平和な国家になって欲しい。 2019.04.05


 レジオネラ肺炎の悪夢-2 なぜレジオネラ肺炎になったのか。特定は難しいが、発症の2日前に生駒山に登り、麓の温泉に行った。当日体調はあまり良くはなかったが、温泉に浸かりゆっくり大きな露天風呂などで楽しんだ。その後なんとなく熱っぽかったが病気とは思っていなかった。そして温泉から2日後に発症、熱が出て大変なことになった。考えられる原因は温泉が一番に考えられる。県下で最大の露天風呂で温泉を楽しんだが、湯を抜いて掃除するには相当時間がかかりそうだ。そこで安心できる温泉を考えてみた。常に清潔さが感じられる温泉、源泉かけ流しの温泉、手入れが行き届きそうな規模の温泉、レジオネラ菌の対策が充分なされている温泉など清潔さが感じられる温泉が良いのではと思う。また、打たせ湯は、飛散していることが多いので要注意。予防として体調があまり良くないときは入浴を控えたほうが良さそうだ。  (完) 2019.04.04


 レジオネラ肺炎の悪夢-1 救急車で病院に搬送された。高熱だったのでインフルエンザが疑われ個室に隔離されたが、検査の結果レジオネラ肺炎と診断された。高熱が4日間続き、検体から得られる指標から生きているのが不思議とされたそうだ。レジオネラ肺炎に高齢者がかかると死亡率が70%とも言われている。なんとか生きて3週間入院、退院して20日後にフォローアップ。検査結果は全て通常の値に戻っていたので一先ず安心した。特殊な状況だったので二人の医者にお世話になったようだ。医者からあまり無理をしないようにと言われたが、体づくりで体力があったから乗り越えられたとも言われた。日々体を鍛えて少々の病魔には打ち勝っていくようにしたいものだ。 続く 2019.04.02

2019.01〜03


 「出来る 出来る 必ず出来る」を座右の銘にしてきた。20代の頃、友人からこの文言のプレート頂いた。行き詰ったときこの言葉を信じて今まで挑戦してきた。この文言は私の宝物だ。 2019.03.23     

出来る 出来る 必ず出来る  やる気が あれば 必ず出来る
出来ないと思えば できない  出来ないと考えず 出来ると信じ
永遠に自分は進歩したい  出来る 出来る 必ずできる


 筋力は元に戻るか!3週間の入院で体重減少、筋力の低下があった。筋力は2週間運動をしないと、筋力の25%が失われるそうだ。3週間だからもっと失われたのだろう。そこで回復するのに3倍以上の時間が必要だそうだ。特に高齢者は現状復帰まで3ヶ月以上はかかるということになりそうだ。5月には蝶ヶ岳登山を計画しており、この調子では危ぶまれる。時間を見つけてウオーキングなど有酸素運動に心がけたい。早く以前のように山登りをしたいものだ。 2019.03.18


 レジオネラ肺炎の悪夢-6 退院して思うこと。後期高齢者になるまで病院とは、あまり関係なく年に一度のドック健診ぐらいだった。突然襲われたレジオネラ肺炎、とんでもない苦しみだった。温泉に行くのが楽しみだったが、今回の原因は定かではないが、少し温泉が怖くなってきた。可能な限り源泉かけ流し、衛生管理の行き届いた温泉を求めていきたいと思う。いずれにしろ歳を重ねると体力的にも弱くなり、少々のことは跳ね除けていたのだができなくなってくる。3月9日友歩会で地蔵山から愛宕山の縦走をしている。できれば行きたかったが残念だ。病み上がりのトレーニングで鶴見緑地に行ってみた。1時間ほどの歩行で鶴見緑地まで行けるのだが、自転車で行った。園内を1周以上するのだが、約半周でやめた。健康第一をモットーにまた山登りを続けたいと思う。(完) 2019.3.13


 レジオネラ肺炎の悪夢-5 レジオネラ肺炎にかかると、血小板が減少することが多いそうだ。しかし、減少どころか数倍に増えていった。関係医で協議したそうだが様子見になったようで当分帰れなさそうだ。点滴で両腕はパンパンに腫れ痛くてたまらない。なんとか戻り傾向にあり3週間余りで退院できた。胃を全摘した人は、胃のことより前立腺肥大で小便ができなくなり、かなり苦しんでおられた。幸い良化傾向で私より1日遅れで退院になりそうだ。癌は2人に1人の割合でかかるそうで、元気な人が突然襲われる地獄のような病気だ。間近でそれらの方と話したが、術後も大変な苦しみもまだ続きそうだ。・・・  続く 2019.3.12


 レジオネラ肺炎の悪夢-4 一般病棟に移っても酸素吸入でホースに繋がれたままだ。トイレに行こうと思うと、一々看護師に連絡して酸素ボンベに切替えてもらわねばホースより先には行けない、猿廻しの状態だ。夜中は一々大変なので尿瓶を用意してもらってナースコールを減らした。酸素のホースに繋がれ点滴をぶら下げ、ほんの先のモノを触ったり、カーテンも締められず、食事も繋がれていて食べにくい。1週間後酸素吸入はなくなったのでそろそろ退院できそうに思う。はやく帰りたいな〜・・・  続く 201903.11


 レジオネラ肺炎の悪夢-3 幻覚悪夢と現実を行き交いながら2日ほど過ぎた。39度を切るぐらいまで熱は下がってきた。3日目辺りからは幻覚は現れなくなった。胃と胆嚢を全摘した人が隣室に入ったようだ。今度はその人が摘出の痛さで幻覚に襲われ奇声を発している。医者や看護師にあたりをつけてのたうちまわっているようだ。酸素供給しながら点滴(抗生物質のようだ)が続く。4日目なんとか熱も下がり38度ほどになってきた。ここで、一般病棟に移され大部屋になり孤独から解放された。ここで胃を全摘した人と同室になった。・・・  続く 2019.03.10


 レジオネラ肺炎の悪夢-2 2月16日救急車で病院へ、発熱が続き大変だ、そこへインフルエンザの危険性があり検査後独房に入れられた。本来一人部屋で中々入室できない部屋だが熱に犯されて独房と同じだ。夜になってくると幻覚が現れ、目の前に山水画のような景色が出てくる。渓谷にお寺がありその上に滝があり、その上に岩稜の尾根が雲の上まで続いている。喘ぎながら山頂に立ち無事下山する。家に帰ろうと思うがお金が1円もない。体一つで入院していたからだ。その後、うとうとし次の日の山登りのため準備していた。集合場所でうろうろしていたら看護師さんに何処へ行くのかと詰問され独房に戻された。玄関ではなく、ナースステーション辺りをうろついていのであろう。・・・  続く 2019.03.09


 レジオネラ肺炎の悪夢-1 4週間前の2月14日生駒山に登り、麓にある温泉に行った。気持ちよく温泉を楽しんで帰途についた。いつもなら一杯飲みに行こうと皆んなに声をかけるのだが元気なく帰途についた。その後なんとなく熱っぽかったがあまり気にしなく2月16日金剛山に出かけた。バスを降り、登山口を出発してまもなく歩けなくなった。参加メンバーで協力して予定通り登山を続けてもらった。登山口からバス電車を乗り継ぎ自宅に戻った。自宅手前の石積みの垣根に激突、救急車で病院に直行・・・  続く 201903.08



 「チコちゃんに叱られる」の放送で、大人になるとあっという間に1年が過ぎるのはなぜか?見ていて結構おもしろい。あっという間に時間が過ぎるのは、トキメキがなくなるからだそうだ。トキメキとはなんだろう。期待や喜びで胸躍らせることだ。今年も既にひと月が過ぎてしまった。はたしてトキメキを感じただろうか。感じたとすると、和泉葛城山登山と、六甲縦走路の出発点塩屋から鵯越まで縦走した。何回も通っている登山道以外の新たなコースを歩いてみると、初めて見る滝や、なれた景色なのに見方が変わり歩いて良かった。これもトキメキなんだろうか。若い頃のように、いろいろ興味を持って過ごしたいと思う。 2019.02.01



 2019年、新しい年を迎えてどんな年にしたいか考えてみた。昨年、試練と憧れの山、剱岳に早月尾根から登った。剱岳の登頂はこれで三度目だったが、念願だった早月尾根から登れて非常に満足した。塩見岳から蝙蝠岳の縦走、燕岳から蝶ヶ岳の縦走、船窪岳から烏帽子岳の縦走、早川尾根から鳳凰三山縦走などなど素晴らしい山登りができた。今年は、後期高齢者の仲間入り、あまり無理をせず、「憧れと試練、試練と憧れ」の山登りをしていこうと思う。日本二百名山、三百名山は、まだ半ばだが一座でも多く登りたい。そして苦しくとも楽しかった、良かったと言える山旅を続けていきたいと思う。 2019.01.01 


2018.10〜12


 2018年平成30年もそろそろ暮れようとしている。来年から後期高齢者の枠に入るようだが、その反動からだろうか、最後の今年はよく頑張ったと自負している。気に入った穂高の山や、定年頃になってから日本百名山などのピークハントをした。しかしここ数年縦走の山旅が多くなった。縦走は体力、持久力、忍耐などいろんな要素に勝たなければならない。憧れと試練が表裏一体になる。計画した登山計画は、苦難を超えて達成していくと、楽しみ、達成感が何倍にもなってかえってくる。ご一緒いただいている方に、82歳の方がおられる、自分もあやかってせめて80歳ぐらいまでは、憧れの山に登りたいものだ。 2018.12.25


 冬将軍襲来といえば大袈裟かもしれないが、12月に入って冬らしくない日が続いていた。4日には最高気温が25℃ほど、半袖姿も見られで、アイスクリームがよく売れたそうだ。それが一転して9日には、最高8℃、最低3℃の気温になった。9日の当日は京都の愛宕山に登った。服装はどうしようかと迷った。通年だったら徐々に寒くなっていくので服装も合わせていけるのだが突然寒くなると対応に苦慮する。愛宕山の水尾分れ辺りまで登るとうっすら雪化粧していた。昨夜降った初雪のようだ。地球の温暖化によって北極海の氷も溶けてきているようで、日本は亜熱帯化し、強力な台風などが襲ってきたりして、大変な時代になってきた。しっかり環境の変化について行かねばならないと思う。 2018.12.12


 何度でも行ってみたい観光地や山について思い起こしてみた。先日、紅葉の赤目四十八滝を見に行った。最初に行ったのは何十年も前で、全身で素晴らしい沢山の滝を味わった。しかし訪れるたびに感動が少なくなってきた。なぜだろうか、どうも水量が少なくなり迫力が欠けてきたように思う。また見る目が肥えてきて目線が変わってきたのかもしれ合い。過去の思い出を超える何かが発見できればいいのだろうか。最近東北の白神岳、森吉山に登ったが、以前の思い出が込み上げてくるのに加えてまた新しい思い出が加わったように思える。観光地の自然の保全をどうすればいいのか、難しい問題だがうまく自然が保たれれば何度行っても素晴らしい観光地になるのではないだろうか。 2018.11.28


 今年、縦走登山をたくさん楽しむことができた。年初めは、熊野古道で那智大社から大雲取越、小雲取越をへて熊野本宮大社へ古道歩き。6月には、赤兎山から三ノ峰の縦走、三ノ峰避難小屋泊まりで3日分の水を担いで結構辛かった。7月は、早月尾根から剱岳を経て室堂までの縦走。さらに塩見岳から蝙蝠岳を経て二軒小屋までの縦走。8月は、燕岳から大天井岳、常念岳を経て蝶ヶ岳への縦走。船窪小屋から不動岳を越えて烏帽子岳の縦走。北沢峠から早川尾根、鳳凰三山の縦走。そして八ヶ岳の真教寺尾根から県界尾根の縦走などだ。これらの縦走で一番辛かったのはやはり水場の少ないコースで、水を数リットル担いで登るのは歳と共に大変厳しかった。後期高齢者といわれる歳になると、来年から少しレベルを下げざるを得ないのではと危惧している。 2018.11.20


 今年は、災害の年なのか。地震、集中豪雨や台風が度々日本列島を襲ってきた。日本各地で多大な被害が発生した。被害に遭われた皆さんにお見舞いを申し上げたいと思います。さて、私は山登りに興じておりますが、登山道が崩壊しているところがたくさんある。9月越百山に挑戦したが、8月の豪雨災害で伊奈川ダムから上流の林道がめちゃめちゃに崩壊、途中撤退で通らなかったが、空木岳から下りの吊橋が台風21号で崩落していたそうだ。白根三山を縦走しようと計画、実施直前で、大門沢吊橋が崩落。身近では、鶴見緑地公園、神戸森林公園なども暴風の被害を受け樹木が倒れ、園内の大部分や一部が閉鎖されていた。大自然の猛威にはかなわないものだ。 2018.10.15


 季節の移り目、兵庫県の三室山標高1358mに登った。登山口ではシャツ一枚で汗をかく程度で登っていったが、山頂に着きじっとしていると冷えてきた。一日の気温の差が著しく大きい時期になったんだろう。バス、電車、徒歩で家に帰ってくると、汗をするほどだった。スカットしたかったのでクーラーを入れたがなかなか冷えなく、暖房に切り替わっていた。クーラーの設定が27℃に対して外気が16℃になっていたためだ。クーラーのスイッチを入れると冷えるものだと思っていたが、とんでもなく逆転していたのだ。まだ夏の終わりと体が思っていたがもう秋なんだと。 2018.10.13


 「おーちゃんとゆかいな仲間」引越ししました。最初に作ったホームページは、インターネットプロバイダーの100MBで始めました。容量が足りなくなってきたので、Y社のサーバーを使用していました。ところが今回このサービスが終了するということで、引越しになりました。引越し先は、Y社の紹介のS社のレンタルサーバーになりました。引越しは、2社にまたがったホームページだったので、一括で引越しができず、リンクファイルの設定など大変でした。なんとか引越しが終わりましたが、アクセスカウンターと検索の手段の2つができませんでした。弱い頭を悩ましながら気長に挑戦したいと思っています。また、容量が増えたので例会など楽しかった山旅のスライドショーなど掲載していきたいと思います。 2018.10.10


 「年間山登計画」この時期になると、毎年大変な作業になる。2つの山登り会をお世話しているので、年間計画は24ヶ月分の計画を立てなければならない。計画を実施に移した時、皆さんに達成感があり喜んでもらえるか、少ししんどいが楽しい思い出になるか、いろんな人とお話ができ楽しく過ごせるかなど。また昨年の計画を実施して皆さんの満足が得られたのか。なかなか難問だがこの時期計画した山登りが来年喜んでもらえるようにしたいものだ。 2018.10.05


2018.07〜09


 「試練と憧れ」、剱岳早月尾根の登山口に建っていた碑だ。二十歳代は多くの山に憧れ、夜行バスなどで行ける穂高連峰が主だった。その後、定年まで年に1回程度しか行けなかった。定年後、憧れの山々に登り始め、日本百名山にも登頂した。最近皆んなに着いていくのが次第に厳しくなってきた「試練と憧れ」が、「試練」のみに近づいてきた。同世代の人がパーティーにいると、負けじと頑張るのが精一杯だ。でも憧れの山頂に立つと、また新しい憧れの山が呼んでくれる。こんな繰り返しが最近続いているが、いつまで試練に耐えれるか、年相応の低山に切り替える時期も来るだろう。とにかく、今を精一杯「憧れの山」に登り続けたい。 2018.09.20

 
 大阪を台風21号が直撃した。台風や竜巻の様子はテレビなどで見ていたが、本物が我が家にやって来るとは思わなかった。13時頃から突風が吹き始め嫌な雰囲気になってきた。14時頃になるとさらに防雨風が強まり、家が揺れ始めた。これはヤバイと思っていると何かが飛んできて屋根を叩きつけだした。それも一つや二つではなく、数えきれないくらい屋根や壁に叩きつけてくる。雨戸を閉めているので外の様子は全くわからない。次第に不安になってくる。外を見に行って事故にあったとテレビなどで報道されていた。でも外の様子を見たいが、我慢して通過するのを待つ。過ぎ去ったあと、外に出てみて驚いた。粉々になった瓦や外壁そしてベランダ等においていたと思える家具など著しい数の破片が道いっぱいに広がっていた。駐車場の車は、破片が当たりボコボコになっていた。隣組で後片付けをしたが、あゝ怖かあった。 2018.09.06

 
 「日本三大○○」などと呼ばれる日本を代表するものはいろいろある。北アルプス三大急登は烏帽子岳へのブナ立尾根、燕岳への合戦尾根、剱岳への早月尾根と言われている。今回、早月尾根に初挑戦した。登山口の馬場島に、「試練と憧れ」の碑が建っている。一歩踏み込むといきなりの急登が始まる。剱岳山頂の標高2999mまで、標高差2230m余り厳しい登りが続く、まさに試練の連続だ。ちなみに日本一の富士山、五合目から山頂まで標高差およそ1560mジグザグに登るのと比べると、その差は大きい。厳しい試練に耐えて、憧れの剱岳山頂に立つ。人生も憧れ、希望をもって試練を越えて力強く生き抜きたいものだ。
2018.08.06


 日本一高い山は、言わずと知れた富士山、標高3776mだ。日本一低い山と言えば大阪の天保山4.5mと言われていた。2位の宮城県仙台市の日和山6mが、2011年の東日本大震災の津波で山体が消滅したと伝えられていたが、2014年に国土地理院の調査で標高3mと認定された。結果現在日本一低い山は、仙台市の日和山で2位は天保山になった。秋田県の大潟富士0mは築山のようで認定されていないが地元では日本一だと豪語していた。都道府県では、兵庫県の唐船山19m、奈良県の三室山80.2mにも登った。近くで登っていない和歌山県の妹背山15.3m、滋賀県の大日山126.9mも機会を見て登ってみたい。時には目線を変えるのも面白いだろう。 2018.07.10

日和山

2018.04〜06


 ヤブこぎ!年齢に合わせておとなしく低山に登っておればいいのに最近は、年寄りの冷や水と言われそうな山登りをしているようだ。積極的に言えばチャレンジだろうか。5月に山口県の馬糞ヶ岳に登った。山自体は厳しくないのだが、雨の中のヤブこぎはかなり厳しかった。6月に福井県の三国岳に行った。夜叉ヶ池からしばらく登るとヤブこぎが始まり、夜叉ヶ池山から三国岳へは雪解け跡でクマザサが倒れ踏み跡が見えない。下りはササで滑るし、登りはクマザサがささくれて足が引っかかり登るのも一苦労だ。結局途中であえなく撤退した。6月は、福井県の赤兎山から三ノ峰の縦走に参加した。赤兎山から七本槍までは、何年かに一回草刈をするそうだが今回は草木が茂り大変だった。三ノ峰から二ノ峰へは、雪渓が残っていて急斜面の雪渓を下るのは危険だ。クマザサの尾根をヤブこぎしながらトラバースした。滑って転倒を何回もして登山道になんとか出た。ヤブこぎだけを考えれば面白いが、歳を考えると少し無茶なようだ。ダニに噛まれてボコボコ、でも楽しかった。 2018.06.28



 大阪府北部で震度6弱の地震発生。6月18日7時58分頃、大阪市北区、高槻市、枚方市、茨木市、箕面市で震度6弱の地震があった。震源地は大阪府北部で、震源の深さは約13キロ。地震の規模はマグニチュード6.1と推定される。その後も地震が相次いだ。大阪府で震度6弱を観測したのは観測態勢が整った大正12(1923)年1月以降、初めてだそうだ。最近発生した地震で、島根県西部、長野県北部、群馬県南部などで震度5以上が発生している。先日、島根県の国民宿舎に泊まったが浴槽が割れていた。日本列島で度々発生していても自分のところは大丈夫と勝手に思う。阪神淡路大震災は、1995年に発生、もう23年も前のことだ。あの恐ろしかったことが近々で発生した。地震は時が解決してくれない。突然襲ってくる地震に対して対応力をもっておくべきだと痛感した。 2018.06.20



 思いつくままを、ながらくさぼってしまった。4月30日に茅ヶ岳に登った。山頂までもうすぐという尾根に、深田久弥終焉之地碑が建っている。日本百名山の著者、深田久弥がここ茅ヶ岳直下、脳卒中で急逝した。石川県、現在の加賀市で生まれ小説家、そして登山家であった。こよなく山を愛し、日本百名山で知らない人がいないほどよく知られている。1971年3月21日、ここで68歳の若さで亡くなった。「百の頂に百の喜びあり」は、深田久弥の名言だ。現在日本二百名山、三百名山に登っているが、歳を重ねたせいか登りはかなり厳しくなってきた。しかし、深田久弥の「百の頂に百の喜びあり」の名言に重ねてしまう。 2018.05.30



 桜の開花は、今年は例年に比べて10日早かった。友歩会は3月31日に摂津峡で満開のお花見会を行った。高槻市観光協会のイベントは4月7日予定で1週間遅い、淀川八幡の背割堤の桜も30日には満開でイベントはで31日からでここはベストだったようだ。4月7日に鯖江市の文殊山にカタクリを見に行った。天気も良くなかったが例年満開だがほとんど咲いていない。今年の開花は未だなのか、咲き終えたのか分からない。文殊山大文殊で地元の人にお会いしたら、10日ほど前に咲き終えてしまったとのことだった。12日に造幣局の通抜けに行ったが、今年の桜はほぼ散っていた。次の日、鶴見緑地に出かけてみた。先月末には桜、チューリップやモクレン、ユキヤナギなど咲いていたが、すっかり様変わりしてハナミズキやヤマブキが咲き、桜はすっかり新緑になっていた。時の過ぎ行くのは早すぎる感じだ。 2018.04.14

ハナミズキ

2018.01〜03


 3月21日から3日間の予定で、八紘嶺から七面山縦走に出かけた。折しも大阪を出る前日から雨が降り続いていた。登山口の梅ヶ島温泉に着く頃には雨は雪に変わっていた。明日は登れるだろうか検討した。結果新雪も加わって雪が深く10時間あまりラッセルするのは困難で途中日没になる可能性大と判断し、八紘嶺からの縦走は断念した。折しも、21日に奥多摩の三頭山に登ったグループが遭難していた。2日目、早朝3時30分に起床して3時間あまり新東名道まで下り大きく巻いて七面山の表参道登山口へ移動した。登山口で支度をしていると七面山敬慎院から電話が入った。雪の影響で停電になり、お寺は真っ暗で登ってきても受け入れできないとのことだ。昨日の遭難も捜索中とあり、お寺からの電話が赤信号と解釈して登山中止、帰途についた。急激な気象変化で何が起きるか予測できない場合今回のように中止する勇気が必要だろう。 2018.03.27


 阿蘇山の2座に先日登った。阿蘇の山には今回で4回目、最初は2003年仙酔峡から中岳、高岳の往復をした。2回目は、2012年根子岳に、3回目は2014年仙酔尾根から天狗の舞台、高岳、中岳に登り仙酔峡に下山した。今回は、草千里ヶ浜から杵島岳と烏帽子岳をそれぞれ往復した。登山規制が頻繁に出ている阿蘇山、当日も中岳火口から白い噴煙が絶えず立ち登っている。霧島山の新燃岳が今噴火していてそれが気になり今日の阿蘇も楽観できない。帰宅後調べてみると、当日白色の噴煙が最高で火口縁から200m上がったそうだ。(福岡管区気象台)御嶽山、草津白根山の噴火の様子をテレビで見ると、阿蘇山でも連想されてしまうのだ。以前は、火口や噴気に興味を感じながら楽しんでいたのだが、今は山が静かな時は火山を楽しみ、噴煙、噴気、臭などに異常を感じたら 離れるなどしたほうがいいだろう。火山に登るときは、ヘルメットを着用しよう! 2018.03.14

2018.03.10
13:51:01


 耳我山系、耳にしたことのない山系だ。先日機会があって耳我山系を縦走した。耳我山系は、奈良県の高取山から多武峰に続く山並みだそうだ。芋峠では飛鳥時代の天武天皇、竜在峠では江戸時代の本居宣長が案内板などに記されているが、「耳我の麓」とはどの山を指すのか分からないそうだ。地形図を見るとこの山系は、飛鳥と吉野の境をなす山で飛鳥時代から南北朝にかけて交通の要所や壁になったのだろう。こんな近くの山に行っていなかったのも不思議なくらいの山だ。多分、高取山より高い尾根のピーク標高668mがあるのだが山名がないので紹介されていないからだろう。高取城址大手門跡前にハイキングマップがあったがこれもあまり知らrていないようだ。 2018.03.09


 霧氷を楽しもうと高見山に登った。登りは杉谷から小峠そして尾根に出て山頂へと向かう。尾根に出るとさっそく霧氷に囲まれてくる。太陽と青空を期待し曇空の霧氷を楽しんで登った。山頂近くになって北風が容赦なく吹き付けて寒さに堪えていた。北風が雲を吹き飛ばしたのか青空になり陽が射してきた。山頂付近の霧氷は一斉に輝き始めた。木の枝にダイヤモンドを無限に散りばめたようだ。それ以降北風は青空が消えるまで続き、霧氷を煌めかせていた。高見山といえば関西のマッターホルンと呼ばれ三角錐の尖った山頂は特徴だ。今回は、北尾根を縦走して高見山の印象が変わる山容を見た。黒石山辺りで振り返ると高見山の素晴らしい勇姿が見えてきた。その高見山は堂々とした威厳のある山に見えた。 2018.02.14



 山に登ると役行者、空海などにまつわることがよくある。今回は空海について述べてみたい。空海(弘法大師)は、774年四国は善通寺市で生まれた。先日善通寺五岳に登った。その中の一座に我拝師山があり、捨身誓願之聖地(捨身岳)が急峻な崖の途中にある。空海が7歳の時この山に登り、仏門に入って多くの衆生を救いたい。「私の願いが叶うならお釈迦様お姿を現してください。願いが叶わないのなら私の命を仏に供養します」と願い、この断崖から飛び降りたそうだ。すると落下する空海の前に釈迦如来と天女が現れ抱きとめ、「一生成仏」と宣し願いが成就した。感激した空海は、釈迦如来が現れたこの山を「我拝師山」と名づけ、出釈迦寺を建立、釈迦如来像を刻んで本尊にしたそうだ。山々に登るとその山の歴史や伝説が多くあり、少し覗いてみるのも楽しいと思う。 2018.02.04

捨身岳


 草津白根山が23日噴火した。2011年6月に草津白根山に登った。白根山に登りたかったが火山活動で立入禁止になっていて登れなかった。また、湯釜近くにも時間がなく見ることができなかった。本白根山へ向かい中央火口を半周して山頂に立った。今回噴火したとみられる鏡池は周囲の緑を写して美しい池だった。多くの火山に登っているがどの山に登っても眺めても素晴らしい。登った山で最近火山活動が活発になったのは、なんといっても御嶽山の噴火だ。それからなんとなく怪しげなのが霧島山、浅間山、雌阿寒岳、十勝岳、樽前山、蔵王山、吾妻山、安達太良山、磐梯山、日光白根山、焼岳、白山、九重山、阿蘇山、雲仙岳などに登ったが、素晴らしい光景と隣合せに噴火等の危険が隣り合わせのようだ。 2018.01.24


 山もあれば谷もある。先日ポンポン山に登った。ポンポン山には何回も登っているが、森の案内所から西尾根ルートを登ろうと初めて計画し実施した。出灰川に沿って下っていくと渡渉地点が見つかった。渡渉地点を早く見つけないとどんどん下っていく、早く尾根に取り付かねばとの思いが強かった。渡渉した地点にポンポン山への案内板が立っていた。安心して沢を登っていくが尾根への取付きがない。案内板が所々に立っているが思い込んでしまって、道が間違っているのに気がつかなかった。「ポンポン山へ」とは記されているがその上に「竈ヶ谷(かまがだに)ルート」と書いてあるのに気づいた。このコースは沢ルートで尾根ルートではなかったのだ。案内板もしっかりしていて大原野森林公園内なのでそのまま進んだ。沢も詰まって尾根に取付きしばらく登ると作業員の方2人が降りてこられた。その先に簡易テントが出てきた。何だろうと思って見てみるとフクジュソウの群生地だった。まもなく咲くフクジュソウのお世話をされていたようだ。ポンポン山には当然、尾根も谷もあるが今まで谷筋を登ったことがなかった。こんなに素晴らしい登山コースを見つけてしまった。フクジュソウに咲く頃にまた来たいと思った。 2018.01.23



 山歩きの会「友歩会」は、今年で30周年になる。大先輩が数人で始めた会で、1988年金剛山に3人で登ったのが最初という記録がある。1992年から毎月実施するようになり、1944年から私鉄などのウオークにも参加するようになった。1999年頃から皆さんのお世話をするようになり、現在に至っている。例会も2017年末で677回と回を重ねた。最近多くの登山クラブで問題になっていることが友歩会でも起きてきた。それは、会員が歳を重ね体力的にまた気力的に山に登りたいがいざとなるとめげてしまう。そんなわけで参加者が少なくなってきている。昔は3000m級の山に登れたが今では300mの山も無理だと決めつけている人もいる。そういう人達のお役に立てないかと、低山の山登りを混じえて進めていきたいと考えている。 2018.01.07



 正月三ヶ日、あっという間に過ぎてしまった。3日、初歩きで鶴見緑地に行った。背中を曲げて寒そうに歩いている人、凛として歩いている人、夫婦仲良く寄り添って歩いている人それぞれ健康を確かめているようだ。春の息吹を期待して散策してみた。ロウバイが一輪咲いて小さな蕾も精一杯日向ぼっこしているようだ。モクレンやコブシも花芽をつけて今か今かと出番を待っているようだ。園内を一回りして初登りで鶴見新山に登った。鶴見新山は標高39m、時々青空で陽が射していたが山頂に立つ頃には一転して霰が横殴りで降ってきた。山の天気は急転することがしばしば、今年も楽しい山登りをしたいものだ。 2018.01.04



 2018年登山目標。昨年は「もうあかん」と言いながら164座も登った。今年も日本二百名山、三百名山に挑戦してみたい。中国地方の山に余り行っていないので四国と合わせでできるだけ登ってみたい。グループに迷惑をかけないで自己ベストの山登りを頑張ってみたい。 2018.01.01


2017.10〜12


 2017年登山の総括。年間通して164座に登ることができた。前半6ヶ月で1000m以下の山40座、1000m以上の山20座登った。後半の6ヶ月で1000m以下の山32座、1000m〜2000mの山19座、2000m以上の山53座に登った。今年は縦走が多かったので2000m級の山の頂をたくさん踏破することができた。立山から槍ヶ岳の縦走、折立から雲ノ平を経て高瀬ダムへの縦走、北八ヶ岳から南八ヶ岳の縦走などなど多くの思い出を残すことができた。また弥山川、大杉谷の渓谷登り、真砂岳から湯俣の竹村新道、薬師沢から高天ヶ原の大東新道、赤牛岳の読売新道、爺ヶ岳への柏原新道など多くの登山道も楽しめた。さらに高天ヶ原温泉と湯俣温泉では河原の露天を楽しむこともできた。比良の獅子岩でのロッククライミングは人生初めてで終わりのクライミングは素晴らしい思い出になった。 2017.12.26


 
 落葉散るこの頃になるといつも思い出す。オー・ヘンリーの短編小説「最後の一葉」だ。中学生の頃読んだ本で、いずれ散っていく運命、限られた期間、鮮やかな色で見る人の心を打つ晩秋の蔦の一葉。病床の女性、絵が売れずやけっぱちの画家、そして蔦の葉っぱそれぞれ命の輝きを訴えているように思う。嵐の中、煉瓦壁に描いた蔦の一葉を描いた画家の生きざまに感銘を受けた。また病床の女性も、それによって生きる気力を取り戻した。素晴らしいお話だ。自分もなにかの役にたたねばと思う。最後の一葉を描けるだろうか、酒を飲んで酔っぱらっているだろうか。でも最後の一葉で何かに役立てたらと思う。 2017.12.18



 縦走登山の楽しみ。今年は多くの縦走をした。1番は、立山から五色ヶ原、薬師岳、黒部五郎岳、三俣蓮華岳、双六岳、槍ヶ岳、上高地への8日間の縦走。2番は、折立から太郎平、雲ノ平、祖父岳、鷲羽岳、水晶岳、野口五郎岳、真砂岳、湯俣温泉、高瀬ダムへの5日間。3番は、八ヶ岳縦走で麦草峠から天狗岳、硫黄岳、横岳、赤岳の4日間、そして赤牛岳で、折立から太郎平、高天ヶ原、温泉沢ノ頭、赤牛岳、黒部ダムの4日間。さらに爺ヶ岳から針ノ木岳、蓮華岳、七倉岳の4日間。3日間の餓鬼岳、弥山川から弥山、鉄仙縦走。そして2日間で大杉谷から大台ケ原の縦走などをした。どのコースも期待をもって歩き始め苦難に耐え、山頂や縦走路で多くの感激をして長時間をかけて山を下り、大きな達成感が得られた。 2017.12.11


 2017年登山の思い出 日本二百名山。餓鬼岳は、餓鬼にされそうになったお話は以前しましたが、東沢岳から餓鬼岳に至るルートは素晴らしい。剣ズリと言われる岩峰群が天を突き刺すようで感動を覚える。北アルプスに例えれば、リトル穂高とも言うべきだろうか。餓鬼岳は安曇野から眺めると岩壁が崩れ「崖岳」と呼ばれそれが変化して「餓鬼岳」になったとか。餓鬼岳の山頂は特徴なく平凡な山で、前述の剣ズリが一番の魅力に感じられる。それにしても登り下りの厳しさが印象的だ。 2017.12.08



 2017年登山の思い出 日本二百名山。赤牛岳は、非常に奥深い山で大阪を出て3日目の昼にやっと山頂を踏むことができた。1日目太郎平小屋泊、2日目は薬師沢に下り、大東新道を黒部川B沢まで下る。途中A沢では黒部川のへつりが面白い。ここから沢を渡りながら高天ヶ原峠へと登っていく、峠を越えて沢に下ると、高天原だ。日本で3番目の高所の温泉、日本一遠い温泉とも言われる。3日目、やっと温泉沢を登り、急斜面の登りを経て温泉沢ノ頭にやっと到着。ここから赤牛岳の尾根のアップダウンを繰り返しやっと山頂に立つ。温泉沢ノ頭から眺めると薬師岳のような姿で大きさから厳しさをとったような、ゆったりしたのどかさがあらわれた、いわゆる牛が寝そべっているかかのような山だ。山頂をあとに読売新道を5時間ほど延々と下る。奥黒部ヒュッテでさらに1泊して、黒部湖湖畔を4時間余り歩いてやっと黒四ダム、それから帰阪だ。本当に奥深い山だった。 つづく 2017.12.06



 2017年登山の思い出 日本二百名山。杁差岳は、細いやせ尾根の足ノ松尾根を延々と登る。やせ尾根は木の根道、岩の尾根が大石山まで標高差1100m、途中小さな峰や展望所が有り厳しいが楽しく登れる山だ。大石山より杁差岳山頂まで壮大な大自然を歩く。まるでアルプスの少女ハイジーの世界だ。ところが落とし穴が、調子に乗って登っていくうちに熱中症になりつつあった。数人がバテ気味になっていた。雪渓の残っているところまで下山、早速雪をタオルに包んで氷のうを作り首や頭を冷やしてほっとした。関西では熱中症を最初から考慮して行動するが、東北地方を甘く見ていたようでばててしまったのは不覚だった。つづく 2017.12.05



 2017年登山の思い出 日本二百名山。今年は、尾鈴山、位山、大日ヶ岳、杁差岳、赤牛岳そして餓鬼岳の6座に登った。尾鈴山は、林道工事で林道歩きに疲れたせいもあるが、雑木林の中を黙々と登る変化のない山だった。アケボノツツジの咲く頃に尾鈴山と渓谷を交えてゆっくり登りたいと思った。位山は、天の岩戸に代表される巨石群を登っていく楽しい山で、川上岳に続く稜線は美しい。大日ヶ岳は、ひるがの高原サービスエリアから望める山で、別山、白山はもちろんアルプスの名立たる山が望める素晴らしい山だ。尾鈴山は、時期と登山コース、余裕が持てれば楽しい山旅になりそうだ。 つづく  2017.12.04



 2017年登山の思い出 九州編。九州の山旅は弾丸フェリー旅で尾鈴山、求菩堤山、大平山、貫山に登った。尾鈴山、林道が工事中で登山口まで1時間早歩き、登山口からいきなり急登、雑木林の中をひたすら登る。九合目を過ぎた辺りでやっと日向灘が望める。尾鈴山は、日本二百名山、一等三角点百名山になっているが、山頂からの展望は期待できなかった。日帰りでは出発が遅いためひたすら歩き通す山旅だった。求菩堤山は、前日に降った雪道の登山になった。この山は、英彦山とともに修験道の山で、遺構や国宝(資料館蔵)、悪さする鬼を騙して一晩で作らせたという石段を登るなど信仰の山ではあるが興味を持って登れた。大平山、貫山は、カルスト台地が有名で、羊が1匹羊が2匹、平尾台の羊群原は素晴らしかった。 2017.12.02



 登山リーダーの気持と参加者の気持。リーダーは、できるだけ多くのビューポイントや楽しさが体感できるところ、少し厳しいが大自然を感じ取れるところなどを組み込んで登る山を決めルートを決めていくと思う。参加者は、自分の行きたい山か、その山のビューポイントや、皆んなについて行けるコースかなどで参加を決めていると思う。今回、せん法ヶ獄、俎石山、大福山の縦走に参加した。大福山からの帰路、谷に降りないで尾根筋を進んでいた。大福山から下るときもう一つ、低い山に登るとか言っていたが聞き流していた。奥辺峠を過ぎて谷に降りる気配がない。もらった地図から離れて行っている。直進してもう一座、岩神山に登り紀ノ川の展望を楽しんでもらおうとコース変更したようだ。お陰で紀ノ川展望のおみやげを頂いた感じで嬉しくなった。あとで案内を見ると地図には載っていながコース案内に記されていた。 2017.11.30


 
 獅子岩の続報。加齢でテクニックのないクライミングは、結果的に体力の限界だった。クライミングして1日あけて高取山、また1日あけて大福山、俎石山に登った。低い山なので通常はどうもないのだが、筋肉痛でとても歩くのは辛い。今年は長期間の山の縦走も行ったが、ひと晩寝れば続けて歩ける状態だった。しかし、今回のクライミングのあとはかなり厳しい筋肉痛だ。たかが30分されど30分の登攀しただけなのに、筋肉の異常な集中が起こしたのだろう。年寄りの冷や水もうやめたほうがいいのかな!もっともっと挑戦したほうがいいのかな! 2017.11.26

 
 2回死んだ!後期高齢者にもうすぐなるのにロッククライミングに挑戦した。比良の楊梅の滝の上にある獅子岩に登った。垂直に切り立った高さ40mはあろう絶壁に挑戦した。手足ともにホールドがあるところは難なく登れるのだが、次第に指先より小さくなり、あげくの果て手掛かりがなくなってくる。足先で立っているが踏ん張りも限界に近づき伸び上がる力などなくなってくる。動けなくなるそして足がホールドから外れてしまう。滑落死亡だ。3回登攀したがやはりこの歳では体力の限界を感じた。普通の山登りと違ってスリル満点、もっと若いうちからやっておけばと思った。 2017.11.24

獅子岩


 山小屋が吹っ飛ぶ!台風18号が九州に近づいているようで霧雨の中、針ノ木小屋を出発、蓮華岳山頂を通過、ここから急な岩稜帯を下り、北葛岳、七倉岳直下の船窪小屋に途中から降り出した雨の中、到着した。船窪小屋は、山小屋のおかみさんで人気があるランプの小屋だ。この小屋に初めて訪れたのは、1966年(昭和41年)、小屋は建て替えられたがイメージは昔のままだった。おかみさんにお会いできなかったので少し残念だった。山を始めたばかりの大縦走、立山から五色ヶ原、黒部湖に下り、針ノ木谷を登って船窪小屋に登ってきた。当時囲炉裏や、かまどで食事の用意をしていた。夜のアザミの天ぷらは美味しかったが、朝の朝食準備で2階で寝ていて煙に燻されて飛び起きた思い出話などして時間を過ごした。深夜、強風で目が覚めた。小屋が飛んでしまいそうな突風が爆音とともに容赦なくおしよせてくる。なかなか寝られない、明け方から少し突風も和らいできた。おかみさんから心配の電話があった。台風は夜のうちに東北地方へ通過したようだった。 2017.11.19



 季節の移り変わりはめざましい。真夏の太陽を浴びて登った夏山、山小屋が吹き飛びそうな台風の山、紅葉の山と登ってきたが、もう山は冬支度。人を寄せ付けない冬山になる。長野県開田高原にお住まいの知人のホームページ「開田で高原暮らし」を毎日楽しみにしている。今日の写真は、「今朝の我が家の雪景色」で最低気温マイナス1.2℃、積雪5cm、昨日の最高気温4.8℃だそうだ。夏過ぎから冬支度の様子が綴られ、これからは雪との格闘、雪かきとスキーの頼りが伝わってくるだろう。大自然の高原暮らし、都会のマッチ箱暮らしそれぞれ良い面良くない面いろいろあると思うが、彼のホームページから大自然の中で生きるいとなみを垣間見ることができる。 2017.11.18



 有名な山に隠れて素晴らしいと思われる山が幾つかある。近くまで行っていながら登られなかった残念な山だ。例えば、白馬岳の稜線からほんの少し外れた旭岳は雪倉岳方向から眺めると美しい。白馬山荘から夕日を眺めていると沈む太陽がダイヤモンド旭岳になる。鷲羽岳近くにあって雲ノ平にそびえる祖父岳(じいだけ)などだ。今回機会があって祖父岳に登った。祖父岳は、溶岩台地の雲ノ平を形成した火山と言われるが噴火口などはっきりしない。麓には日本三大高所の高天ヶ原温泉がある。祖父岳山頂から北アルプスの有名な山々が360度楽しめる素晴らしい展望台の山だ。 2017.11.17



 針ノ木岳に再び登った。最初は2012年で日本三大雪渓の針ノ木雪渓から登った。今年は爺ヶ岳から岩小屋沢岳、鳴沢岳、赤沢岳、スバリ岳そして針ノ木岳へと縦走した。初回は皆に知られた大雪渓を経て、針ノ木岳山頂を踏む目的達成のタイプ。今回は、幾つもの山々を越えて周囲の山の景色を楽しみながら目的の山に近づいて行く、いわゆる縦走だ。大げさに言えば天空の散歩で実に素晴らしい。日常、都会の片隅で暮らしているが時には、天空の散歩に出かけたいと思う。 2017.11.16



 平成之大馬鹿門!先日、後山に登り下山した松ノ木橋に「平成之大馬鹿門」の案内が建っていた。どこかで聞いた名前だ。頭を巡らしてみると、この近くに「空山」という名の山がありその山頂で見た門柱だ。対のもう一つがこの後山の一つの峰の「おごしき山」にあるのを思い出した。京都の仏教大学の門柱として作られたが、「平成之大馬鹿門」という名称に大学と作者の意見がまとまらず、京都から千種にやってきた。作者の空氏は、馬鹿という言葉に生きる価値を見失っている現在人に、「人生ってなんだろう」と問いかける意味をもったものだったという。機会があれば、おごしき山にも登ってみたい。 2017.11.14

平成之大馬鹿門


 どんづる峯から二上山へ登った。記憶から消えかかっていたが2001年にほぼ同じコースを行っていた。当日は小雨のなかどんづる峯から二上山の厳しい木階段のアップダウンを繰り返し馬の背の小屋で昼食をとったのを思い出した。誰もいない雌岳山頂の日時計で傘をさして写真を撮った。あれから何年、久々の木階段のアップダウンはさすがにこたえた。歳はとりたくないとは言ってもしかたがない、とにもかくにも元気で頑張らねば。 2017.11.13



 書写山に3年ぶりに登った。2014年NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で姫路市挙げての観光で盛り上がっていた。山頂から少し降りたところの広場に城山展望所があり、数本の木が伐採されていたが山を見間違えたのか肝心の城山は残った木で見えなかった。もう一つ陣幕が貯水槽の壁に描かれていた。しかし藤巴の家紋の図柄が間違っていた。姫路市に連絡したところすぐ対応しますとのことだった。今回行ってみると2点とも見事改善されていた。流石、姫路城を観光にしているだけあって素晴らしい対応、ありがとうございました。 2017.11.11


 
 立山から槍ヶ岳の最終報。槍ヶ岳の肩から槍の穂先が見えないなかたどり着いたが、一夜を過ぎると素晴らしい天気でご来光を拝むことができた。槍ヶ岳山頂からは日本一の大パノラマで、歩き始めた立山から槍ヶ岳への山並みが美しく見える。越中沢岳で自分が蟻の一匹に見えたが、そんな小さな自分がよくここまで歩き通したことに感激。自分を褒めてやりたい。ご一緒いただいたみなさん本当にありがとうございました。 2017.11.10


 立山から槍ヶ岳の5報。太郎平から黒部五郎岳。雲のち雨で北ノ俣岳近くからは雲の中で、黒部五郎岳は全く何も見えず残念。山頂から小舎へ稜線コースを下った、天気が良ければ稜線の岩峰とカールが期待できたのだが残念だった。黒部五郎小舎から槍ヶ岳も天気が悪く三俣蓮華岳、双六岳は雲の中だ。双六小屋でやっと雲が切れ西鎌尾根を期待したが、樅沢岳の途中から雲の中になり、西鎌尾根では風雨が強く厳しいなかやっと槍ヶ岳山荘にたどり着いた。西鎌尾根は以前も雨の中の登りだったが、今回も岩峰、絶壁が見えない風雨のなかの登りだった。できればリベンジしたいものだ。 2017.11.09


 
 立山から槍ヶ岳の4報。スゴ乗越から間山を経て薬師岳、太郎平のコース。スゴ乗越小屋からしばらく登ると、針ノ木岳、赤牛岳、黒部川、立山連峰、鹿島槍ヶ岳など素晴らしい眺めだ。間山からは北薬師岳の峰が前面になり登っていくと、薬師岳の想定外の勇姿に出会う。始めて薬師岳に太郎平から登った時、あまり感激はなかった。今回の薬師岳は、北薬師岳へと続く岩峰、さらに薬師岳本峰への岩峰と、足元に広がるカールは圧巻だ。何事も一方からだけではなくいろんな方向から見たりするといろんなことが見えてくることを実感した。 2017.11.08


 立山から槍ヶ岳の3報。五色ヶ原から鳶山を越え、越中沢岳からスゴ乗越のコース。五色ヶ原に霧が掛かっていたが時々晴れ、周囲の山々、ご来光を楽しみ鳶山まで来ると、晴れてきて名立たる山々の大パノラマだ。越中沢岳へは雄大な山並みを越えていく。広大な大自然の中の人は、蟻の一匹にも匹敵しないだろう。越中沢岳からは明日登る薬師岳が雲の上に見える。振り返れば歩いてきた立山からの山並みが見える。 2017.11.05



 立山から槍ヶ岳の2報。一ノ越から龍王岳を巻いて下り、鬼岳、獅子岳を越えてザラ峠へ下る。天候は余りよくないが、お花が沢山咲いていて歓迎してくれる。昔、1966年に大阪を夜行で出発、一ノ越で昼食、その後ひたすら眠気と戦いなが五色ヶ原に17時にたどり着き爆睡した。きれいなお花畑は目に入らなかったようだ。今はお花も周囲の景色も楽しみながら山歩きができる幸せをかみしめたいと思う。 2017.11.04


 
 今年大縦走に挑戦しようと毎日新聞旅行の立山から槍ヶ岳に参加した。8月11日から7泊8日の予定で出発した。1日目は大阪を出て室堂泊まりだ。2日目生憎の雨模様、先ず立山雄山に登る予定だったが、何回も登っているといことで浄土山に変更になった。あとでふりかえると雄山を最初に登り、最後に槍ヶ岳に登るという壮大な計画が揺らいでしまった。計画した人の気持ちを踏みにじってしまったし、私にも後悔が残った。 2017.11.03

 
 久しぶりに淀川に行ってみた。広い河原でランニングしたりして運動している人が多く見られた。淀川に架かる鳥飼大橋を渡ってみた。川幅500mぐらいだろうか約7分かかった。淀川に映える夕日を見たかったのでビューポイントを探しながら歩いた。左岸に戻ってなかなかいいスポットが見つからず豊里大橋近くまで歩いて沈む夕日の写真を撮った。あまり遠くまで来てしまって夕焼けまで待っていられなく帰途についた。 2017.11.02

 
 餓鬼岳に登ったとき、登り始めて体調悪化、足が上がらなく息が上がってきた。そこに輪をかけて雨が降ってきた。餓飢に負けそうになるがなんとか踏ん張って餓鬼岳へ、青息吐息で登る。食欲がでなかったのでシャリバテの可能性大だ。後方で歩いていたがここからリーダーの後を頑張って歩く。いつものようになかなか歩けず、リーダーが時々立ち止まって待ってくれる状態だ。餓鬼は、常に飢えと渇きに苦しみ、食物飲み物でさえ手に取ると火に変わってしまうので、決して満たされることがないと、やせ細って腹部のみが丸く膨れ上がり、足の甲がむくんだ姿が描かれることが多い。今回のシャリバテは、餓鬼の性だったのだろうか。
 2017.11.02

 
 夏山登山が過ぎると来年度の登山計画作成で急に忙しくなる。12ヶ月分の計画を2つの登山グループで作成、合わせて24ヶ月分の計画作成だ。みんな、山に連れて行ってとは言うが具体的にどんな山なのか分からない。友歩会は、少し厳しい山と気楽に登れる山の組み合わせだ。松愛会は高齢の人が多いので超低山の計画でなにか特徴が欲しい。なんとかみんなが楽しんでいただける計画を立てたいものだ。 2017.11.01


 くまさんに出会った!黒部湖左岸を黒部ダムへとひたすら歩いていた。ロッジくろよん近くまで来た時、先頭の人が曲がり角に熊を見つけた。後退りしながら5、60m後退して笛や太鼓や槍を取り出してと、熊退治とまではいかないが、各自笛を鳴らし、ストックのキャップを外して、熊遭遇点まで恐る恐る進む。まだいるかな!まだいるかな!まだいるかな!緊張!緊張!緊張!もう熊は、そこにいなくなっていた。 2017.10.31


 台風が立続けに今週もやってきた。先週は21号、今週は22号だ。良いことだったら度々起これば嬉しいのだが。
 赤牛岳の下り樹林帯に入る前に最後の山の写真を撮ろうとして皆んなから少し遅れてしまった。急いで下ると、うしろから誰かがついてくる感じがする。チリンチリンと鈴の音がする。振り返ると鈴の音は鳴り止む。また歩き始めるとまた鈴の音がする。嫌な感じが続く。急坂が終わり岩のある広場に着く、リーダーが今日は登山者が居ないから木道に座って休憩してもいいよといった。私が後ろから誰か来てますよと言った。誰も信じてくれない。 2017.10.30


 私の所属する山岳会、MRCが創立70周年を迎えた。28日記念式典が行われ50名が参加した。創立は1947年、70年の歩みが写真などで紹介された。私は二十歳の頃入会したかったが、毎年夏休みに痛ましい事故がおきていて、当時住んでいた寮の名前が変わるなど厳しい山岳会で入会する覚悟ができなかった。やっと定年になり2002年にそれなりの山に登れるようになり入会した。今考えるにもっと早く入会していたらもっと楽しい思い出ができたような気がする。 2017.10.29


 バラは春が一番輝き、初夏のバラは少し小さくなるそうです。秋のバラは、冴えた花と香りが魅力とのこと。秋は涼しくなる時期に開花するため、気温差が濃い色を出すそうです。春爛漫のバラも綺麗ですが、秋の冴えたバラは格別です。 2017.10.28


 鶴見緑地といえば、風車が有名だ。秋のこの時期風車広場はコスモスの花が一面咲いている。残念ながら先日の台風21号の影響かかなりなぎ倒されて少し残念だ。それでも頑張っているコスモスは美しい。白いコスモスは既成概念から外れてこれまた素晴らしい。 2017.10.27


 鶴見緑地に夏から暑さに負けて全く行ってなかった。秋も深まり行こうかと思うと天候が悪く結局行かなかった。台風21号が各地で大暴れ、各地に被害をもたらした。大峰の釈迦ヶ岳に登ろうかとしたら台風で道路が寸断だという。次の日、紅葉の滝畑四十八滝をと思ったら崖崩れで観光協会が駄目だとのこと。じっとしているのも疲れるのでしばらく行っていなかった鶴見緑地へ行った。小学校、幼稚園児でいっぱいだ。そろそろイチョウやハナミズキの紅葉が始まっている。 2017.10.26