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松愛会山歩き会 | ||
明智越え 標高420m | ||
亀岡駅〜登山口〜峯の堂説明板〜神明峠分岐〜〜丸太橋〜水尾 | ||
12月8日、松愛会山歩き会今年の最後は、亀岡から明智越えして柚子の里水尾へのコースで行った。 8時30分に京都駅に集合、43分の嵯峨野線で出発した。亀岡駅で支度をして北口を出発、夜半から降りだした雨が小降りながら続いている。なんとか少し強めの霧雨のままで雨脚が強くならないよう願うばかりだ。 北口前の保津川下りのジオラマを眺めならら、保津川下りの上船場を過ぎ、保津川に架かる保津橋を渡る。保津橋から見える明智越えは小雨にけむっている。保津八幡宮裏側のJA前通りの三叉路を右に登って行く。三叉路にはバス停があり保津村道路元標や保津の案内板などがたくさんあり、そのなかに明智声ハイキングコースも建っている。 しばらく行くと養源寺そして保津川屋酒・醤油店がありかなり古そうだ。文覚寺を右に見てさらに行くと酒のビンがいっぱい積んでありその先に登山口があった。酒ビンは先ほどの保津川屋さんの倉庫だ。 |
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亀岡駅を出発 |
登山口へ |
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登山口が見えてきた |
登山口の案内板 |
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保津川屋のホームページによると保津川屋の前を亀山藩主明智光秀公が京都本能寺攻めの前夜通ったという。 ここからハイキングコースは山道になる。少し行くと二又になっていて左の登り道に入る。落ち葉を敷き詰めたような道でところどころ露岩が出ていたり、雨でVカットされたところを登って行く。登山口の標高約140mから峰の堂説明板、標高約390mまで標高差250mの登りが続く。そんなに厳しい登りではないが約50分かかった。 説明板には、峯の堂(むねんどう)は明智越えのほぼ頂きのこんもりしたところにあって、五十六代清和天皇を祀った。また明智光秀は亀山城と嵯峨の行き来のほか愛宕神社へもよくお参りしたそうで、この明智越えを聖なる道ともなって、城下町を整備すると同時にこの道も騎馬武者や庶民が通行しやすいように整備したそうだ。 天正10年5月27日、愛宕山参拝の帰り清和天皇をお祀りした峯の堂に本能寺攻めの必勝を祈願下といわれ、6月2日その加護により本能寺攻めは一応成功したが、山崎の合戦で秀吉に敗れた。「峯の堂」はいつしか「無念堂」に変わり「むねんどう」と呼ばれるようになったとか。 |
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明智越えを行く |
明智越えを行く |
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明智越えを行く |
明智越えを行く |
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明智越えを行く |
峯の堂説明板 |
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峯の堂で小休止してさらに少し登る尾根歩きになる。小雨も止まないので前進あるのみになってしまった。土用の霊泉を過ぎると程なく三叉路に出る。 左手を行けば鉄塔から神明峠へ行くらしいが、右下へ保津峡、水尾へ下る道を進む。ピークを巻くように進むとやがてまた東へ続く尾根道に出る。この道をしばらく行くと保津峡・高瀬山と水尾の分岐に着く。天気が良ければ高瀬山をピストンしたかったがあきらめて水尾へと北西に向かう尾根を下った。 尾根頭辺りに送電線鉄塔があり拓けていたので記念写真を撮った。またこの辺りから愛宕山が見え水尾の集落が墨絵のように映った。 |
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明智越えを行く |
明智越えを行く |
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土用の霊泉説明板 |
明神峠分岐(右下へ) |
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明智越えを行く |
保津峡・高瀬山分岐(左下へ) |
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明智越えを行く |
明智越えを行く |
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鉄塔広場にて |
水尾の集落と愛宕山が見えてきた |
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鉄塔からの下りは雨水で削られV字になった急な滑りやすい道を注意しながら下った。今日一番の難所だった。下り終えると丸太橋を渡り遊歩道に出る。遊歩道を水尾を目指して約20分登る。この登りが一番足にきたようだ。 | ||
水尾への下り |
水尾への下り |
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丸太橋に下山 |
丸太橋から水尾へ |
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水尾へ遊歩道を登る |
ようこそ!! 歴史と柚子の里 水尾へ |
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柚子の里まる源さんで早速、柚子風呂に浸かりほっと一息した。全員お風呂を上がったところで会食にした。今日は当地の地鶏の水炊きとすき焼だ。ビールで乾杯、今年の健康登山に感謝し来年の健勝を祈った。そしてお腹いっぱいたらふく御馳走になり今年度最終の例会を終えた。 本年も多数ご参加頂き有難うございました。来年もさらに多くの皆さんの参加をお持ちしています。 |
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懇親会 |
懇親会 |
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懇親会 |
懇親会 |
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まる源 |
まる源にて |
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コース |