将棋頭山 木曽駒 将棋頭山 標高2730m Vol.1 千畳敷〜浄土乗越〜濃ヶ池〜将棋頭山〜西駒山荘(泊)〜馬返し〜権兵衛峠 8月21日から23日で木曽駒ヶ岳から権兵衛峠への縦走をした。第2日目8月22日は、木曽駒ヶ岳に登り、馬ノ背を下って将棋頭山に登り、西駒山荘までの工程だ。
ホテルをバスで8時30分出発、シラビ平行きのバスに乗り換えて、ロープウエイで一挙千畳敷に着いた。
宝剣岳 駒ヶ根市街より
宝剣岳とこれから登る予定の伊那前岳(右) 駒ヶ根市街より
菅の台バス乗り場
シラビ平
ロープウエイで千畳敷へ
宝剣岳と千畳敷登山支度をして出発、千畳敷カールを横切って木曽駒への登り口へ、ここから急登が始まる。登山道は、小さな石や岩を道なりに並べたり積み上げて階段にした整備された道だ。斜面は一段ときつくなり、登山者の列が抜きつぬか列になってくる。年配の男性がフラフラし始め足が進まなくなっていた。リーダーがザックを担いでその男性は空身で登ることに。
宝剣岳・千畳敷・伊那前岳
浄土乗越へ
宝剣岳
浄土乗越へ
浄土乗越へ
浄土乗越へ千畳敷カールを登る
浄土乗越へ
千畳敷カール
浄土乗越に到着
浄土乗越(標高2860m)やっとこさ、浄土乗越に到着、ここでリーダーからコース変更の連絡。当初計画では、これから伊那前岳を往復して、木曽駒ヶ岳に登り、馬ノ背を下って将棋頭山に登り、西駒山荘までのコースだった。しかし台風9号が接近して、午後から風雨が強くなるとの予報を得たため、とにかく昼までに小屋に入る段取りをした。
結果決まったコースは、強風に影響されにくい沢道を下り、濃ヶ池まで下る。登り返して八合目、そして将棋頭山に登れたら登って西駒山荘に昼迄にたどり着く計画だ。
伊那前岳 浄土乗越より
木曽駒ヶ岳中岳・馬ノ背頭・将棋頭山 浄土乗越より
木曽駒ヶ岳馬ノ背に続く将棋頭山遠望 浄土乗越より
宝剣山荘・天狗荘・木曽駒ヶ岳中岳 浄土乗越より宝剣山荘の手前から濃ヶ池に向かって沢を下り始める。標高差150mほど下ると、駒飼ノ池を通過する。池とは言っても土砂でほとんど埋まっている。
少し下って標高2640m辺りからほぼ標高を保ちながら、馬ノ背の麓を巻いて進む。駒飼ノ池から約50分で濃ヶ池に到着。途中はたくさんのお花が咲いていて心和ましてくれる。上を見上げると断崖絶壁になっていて予定通り馬ノ背を通っていたら強風で厳しかったかもしれない。
台風9号でコース変更 濃ヶ池へ
濃ヶ池へ
駒飼ノ池(左)土砂でほとんど埋まっている(標高2710m)
トウヤクリンドウ
濃ヶ池へ
ヒョウタンボク
馬ノ背
濃ヶ池へ
シシウド
アキノキリンソウ
トリカブト
馬ノ背の下のガレ場
馬ノ背の下のガレ場
ガレ場より馬ノ背を望む濃ヶ池に到着、池の水はそこそこあるが昔に比べると非常に少なくなったそうだ。ここでの楽しみは、逆さ宝剣岳が見えるということだったが、水が少なく見ることができなかった。土砂が流れ込み年々池は小さくなっているとのことだった。
濃ヶ池は、数万年前の氷河時代に作られた氷河圏谷底湖(ひょうがけんこくていこ)で、氷河の底に出来た湖で日本では数箇所でしか見られない貴重な自然遺産だそうだ。
お濃の悲しい伝説があるそうだ。お濃が嫁に行って嫁ぎ先での寝姿が大蛇の姿だった。実家に返され父母が寝姿を見るとやはり大蛇だった。お濃は、絶望の末この池にたどり着き、この池に身を投じたというお話です。
濃ヶ池(標高2660m)
濃ヶ池
伊那前岳・宝剣岳と濃ヶ池 (水量が多いと逆さ宝剣岳が見られるとか)濃ヶ池から少し巻くように登っていくと尾根に出る。八合目だ、当初計画だったらここに下ってくるのだ。ここを過ぎると前面は大きく広がってくる。正面にこれから登る将棋頭山が、緑のハイマツに覆われていて所々に白い岩が転々としていて美しく、宝剣岳や木曽駒ヶ岳とは変わった姿だ。
将棋頭山へ
伊那前岳・宝剣岳
伊那前岳・宝剣岳・中岳・木曽駒ヶ岳
将棋頭山へ
将棋頭山へ
八合目(馬ノ背出合 標高2670m)
八合目通過
小八郎岳 山頂小八郎岳 片桐小八郎霊碑
将棋頭山へ
将棋頭山ハイマツの緩やかな道を周囲の景色を楽しみながら登っていく。振り返ると伊那前岳、宝剣岳、中岳、木曽駒ヶ岳がそびえている。北西方向には雲に浮かんだ御嶽山、乗鞍岳、そして北アルプスの穂高や槍ヶ岳も見える。南東には南アルプスの山並みが一直線に伸びている。雲が少し多いが素晴らしいパノラマを満喫することができた。
伊那前岳・宝剣岳・中岳・木曽駒ヶ岳
将棋頭山
御嶽山
木曽駒ヶ岳・御嶽山
将棋頭山へ
遭難記念碑碑ほどなく、遭難記念碑に到着した。この碑は木曽駒ヶ岳大量遭難事故と呼ばれ、1913年(大正2年)8月26日から27日に襲った台風の悪天候に巻き込まれ、木曽駒ヶ岳集団登山中の、箕輪高等小学校の教員、生徒ら38人が遭難し、11人が将棋頭山付近で死亡した山岳事故だった。
のちに、新田次郎がこれをモデルにして、小説「聖職の碑(せいしょくのいしぶみ)」を著した。また、鶴田浩二主演で映画化もされた。
遭難記念碑碑 大正2年(1913年)木曽駒ヶ岳登山中の教員、生徒が遭難11人が死亡した
伊那前岳・宝剣岳・中岳・木曽駒ヶ岳
木曽駒ヶ岳・御嶽山
笠ヶ岳・・・穂高岳・槍ヶ岳 茶臼山(手前)
乗鞍岳・・・笠ヶ岳・・・穂高岳・槍ヶ岳 茶臼山(手前)
南アルプスを望む
南アルプス
南アルプス周囲の景色を楽しみながら登って行く、将棋頭山への分岐にザックをデポして山頂へ登っていく。山頂付近に大きな岩が有りその岩に水が蓄えられている。天水岩(てんすいがん)と言われていて、岩石の窪みに雨水が溜まったもの。しかし雨が降らなくとも、日照りが続いてもこの水は枯れないということですが、本当でしょうか。そんなことを考えているうちに将棋頭山の山頂に到着した。
天水岩より望む麦草岳と御嶽山将棋頭山は、標高2730mで展望は素晴らしそうだが山頂に着くやいなや雲に覆われてしまった。早々に分岐まで戻り、西駒山荘へと急いだ。今にも雨になりそうな中、コマクサが急いで水分を吸収しているようだ。
雨が降る前に全員無事西駒山荘に到着、到着してしばらくすると予報通り雨が降ってきた。リーダーさんの判断は大したものだ。しかもこの時間にたどり着くために参加者のザックを余分に持つなど大変ご苦労だ。登山に必要のないアルバムなどザックに入れていて、休憩時にさっと出せる補助食など出てこないのでは困ったことだ。エベレストに登ったとか豪語しているが本当だろうか。人それぞれだなあ。
夜半は雨風が強くその後、星空になり明日は権兵衛峠までいい天気でいけそうだ。
将棋頭山 山頂
将棋頭山 山頂(標高2730m)
将棋頭山 山頂にて
西駒山荘へ
コマクサ
西駒山荘
将棋頭山と西駒山荘西駒山荘について、前述の遭難事故後、登山道の途中に避難小屋が必要と指摘され、山麓に地区が中心となり、2年後の1915年(大正4年)に現在の地に石室が建設された。その後増築を繰り返し現在に至る。現在の建物は2014年に建て替えられたものだ。建設当時の石室は整備され現在でもほぼ当時のままで現役使用されている(登録有形文化財)。また、現在も伊那谷にある中学校の登山は続いているそうです。 将棋頭山〜権兵衛峠に続く 将棋頭山
基準点名:−−
等級種別:−−
標高:2730m
所在:長野県宮田村
地図:木曽駒ヶ岳
将棋頭山
将棋頭山 山頂 2730m 2016.08.22コース
8/21 晴れ
梅田(7:20)=[バス]=多賀SA=恵那峡SA=松川IC(11:56)=
鳩打峠登山口(12:24/12:32)〜小八郎岳(13:24/13:45)〜鳩打峠登山口(14:29/14:34)
=[バス]=道の駅花の里いいじま=駒ヶ根
ホテルルートイン駒ヶ根インター(15:46) (泊)
8/22 晴れのち曇り、午後雨 台風9号
ホテルルートイン駒ヶ根インター(7:30)=[バス]=バスセンター菅の台(7:40/7:45)
=[バス]=しらび平(8:17/8:30)=[ロープウエイ]=千畳敷駅(8:38/8:46)〜
浄土乗越(9:33/コース変更/9:37)〜駒飼ノ池(10:02)〜濃ヶ池(10:50/10:57)〜
八合目(11:13)〜聖職の碑(11:34/11:38)〜分岐(11:47)〜天水岩(11:50)〜
将棋頭山(11:55/11:58)〜分岐(12:05)〜西駒山荘(12:12) (泊)
8/23 晴れのち曇り
西駒山荘(6:00)〜茶臼山分岐(6:28)〜胸突ノ頭(6:30/6:34)〜七合目(6:40)〜
津島神社(6:57/7:02)〜六合目(7:19)〜胸突八丁(7:44)〜大樽避難小屋(7:55/8:04)〜
落雷事故現場(8:22)〜白川分岐(8:24)〜馬返し(8:29)〜烏帽子(10:32/10:41)〜
ジャンボカラマツ入口(11:20)〜ジャンボカラマツ(11:24)〜
ジャンボカラマツ入口(11:28)〜権兵衛峠(11:48)〜旧国道361号(11:57/12:04)
=[バス]=権兵衛トンネル(12:18)=
大芝高原温泉大芝の湯(12:38/入浴・昼食/14:08)=伊那IC(14:15)=宇津峠PA
=菩提寺PA=大阪(19:07)
参加者 9名
実施日 2016.08.21-08.23
毎日新聞旅行 fukushima
将棋頭山〜権兵衛峠に続く