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摩尼山にて |
MRC75周年記念例会 |
Vol.2 |
高野山女人道と高野三山
弁天岳 標高985m 摩尼山 標高1004m
楊柳山 標高1009m 転軸山 標高915m
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女人堂~弁天岳~大門~轆轤峠~奥の院
奥の院~摩尼山~楊柳山~転軸山~一ノ橋
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10月16日、今日は高野三山の縦走だ。朝起きて6時30分から勤行、お勤めに参加した。約45分お経を聞きながら、所々口に出し拝んだ。祖父母、父母のことが頭にうかんできた。たまにはこのような機会も自分を省みるのに良いのではと感じた。 |
南院 |
南院 |
秋色 |
南院にて |
南院にて |
勤行をおえて朝食を頂き、山支度をしてお寺の表に出た。南院、波切り不動尊の本堂拝殿の天井に「鳴き龍」が描かれている。龍の下で手をたたくと龍が鳴くそうだ。
南院を出発して、昼食の弁当など購入にコンビニへ、田舎のスグそこにはまってうろうろ。40分ほどうろついてやっとバス停に、そして奥の院へと向かった。 |
摩尼山へ |
摩尼山へ |
バスを降り、奥の院へと向かう。弘法大師御廟前の橋のところで弘法大師さんに挨拶して、高野三山の縦走に出発した。
奥の院の右手の車道をしばらく進み、駐車場と思われる広場の登山口から出発した。しばらく歩いて左下の細い道に入り小さな橋を渡る。ここから摩尼山への登りが始まる。 |
摩尼山へ |
摩尼山へ |
摩尼山へ(標高820m) |
摩尼山へ |
道は削られ石ころだらけの水のない沢のようだ。頑張って登り始める。やがて山道になり、登りも急になってくる。 |
摩尼山へ |
摩尼山へ |
登り初めて約15分で摩尼峠に到着する。ここから本格的な登りだ。摩尼山へは、先ほどの小さな橋から標高差約185mの登りだ。 |
摩尼山へ |
摩尼山へ |
摩尼山へ |
摩尼山へ |
摩尼山へ |
摩尼山へ |
摩尼山へ |
摩尼山へ |
摩尼山へ |
摩尼山へ |
摩尼山へ |
摩尼山へ |
摩尼山へ |
摩尼山 如意輪観音(標高1004m) |
登り初めて約35分で摩尼山山頂に到着。摩尼山は、標高1004mで、山頂に如意輪観音がお祀りしてある。少し休憩して次の楊柳山へと尾根を下って行く。 |
摩尼山にて |
摩尼山をあとに |
楊柳山へ |
楊柳山へ |
楊柳山へ |
楊柳山へ |
楊柳山へ |
摩尼山から30分ほどで下りきると、黒河峠を通過する。ここから20分ほど登り返せば楊柳山だ。10分ほど登ると、休憩のリクエストが出てあと少しなのに休憩をとった。
顧みて思えば、今回はMRC発足75周年記念の山旅だ。当時25歳の人は100歳の記念登山だ。参加メンバーも年をとり、昨日の女人道では、途中で90歳のベテランがリタイヤした。今日のメンバーでも85歳位なので、MRCが末永く続いている証拠だ。 |
黒河峠 |
楊柳山へ |
楊柳山へ |
楊柳山へあと10分で休憩 |
楊柳山へ |
楊柳山へ急坂 |
楊柳山へ |
楊柳山 楊柳観音(標高1009m) |
楊柳山にて |
摩尼山から約1時間で、楊柳山山頂に到着。楊柳山は、高野三山で一番高く、標高1009mで、三等三角点になっている。山頂には楊柳観音がお祀りしてある。
山頂で昼前になったので、昼食にした。30分ゆっくりして次の転軸山へと、山頂をあとにした。山頂で皆さんに三角点の紹介をするのを忘れてしまった。三等三角点は祠の裏にあります。今度行かれたら見てください。記憶力としんどさは逆比例のようだ、ごめんなさい。 |
楊柳山 山頂をあとに |
転軸山へ |
道標 スグ下奥の院・・・ 右楊柳山(標高960m) |
転軸山へ |
転軸山へ |
転軸山へ |
楊柳山から30分ほどで、子継峠(粉撞峠、継撞峠)に到着。峠には地蔵尊がお祀りしてある。峠の名から想像すると、女人禁止のお坊さんがこの峠で逢い引きをしたのだろうか。こんなこと言ったら叱られそうだが。 |
子継峠(粉撞峠 継撞峠) (標高m) |
子継峠 子継地蔵 |
子継峠 黒河道分岐 |
転軸山へ |
子継峠をあとに転軸山へと、峠を下っていく。下ると小さな川になり、苔の絨毯のような道になっている。さらに下ると、水際にラクウショウがたくさん見られた。十字路には、一本杉が天を突いていた。 |
転軸山へ |
転軸山へ |
転軸山へ |
転軸山へ |
一本杉 |
マムシグサ |
道標 転軸山 |
転軸山登山口(標高820m) |
転軸山登山口に到着、最後の登りにそなえて少し休憩した。道標「転軸山」が建っていて、階段状の登山道が上へと続いている。山頂まで標高差約100m、木の根道や落葉の道そして階段道を頑張って登りきる。 |
転軸山へ |
転軸山へ |
転軸山へ |
転軸山へ |
転軸山へ |
転軸山 弥勒菩薩(標高915m) |
転軸山にて |
摩尼山、楊柳山そして転軸山の高野三山を登頂した。低山だが結構急な登りが多く試練の道だった。昨日の女人道と今日の高野三山は、高野山が女人禁制だった明治5年まで、女性はここまでしか来れなかったのだ。
山頂標識には落書きで「奥の院」と書いてある。昔、ここから尾根を下り、いち早く奥の院の南側の川に下り、弘法大師御廟にお参りした。今も地図には載っているが通行止めのようだ。
しかし、こんな山道を女性に歩かせてまで、高野山で修行をしたのだろうか。弘法大師空海は、四国善通寺で生まれ、7歳の時、善通寺五岳の我拝師山(捨て身岳)から飛び降りた。「将来、私は困っている人を救いたい。もしこの願いが叶うなら我が命を救ってください」天女が舞い降りてきて一命を守ってくれた。そして空海は、真言宗を開き、高野山つくっていった。つたない知識で失礼しました。 |
一の橋へ |
一の橋へ |
一の橋へ |
一の橋へ |
登山口 池 |
登山口 池 |
一の橋へ |
一の橋へ |
転軸山をあとに、一の橋へと下り、バスで高野山駅へ全員無事下山した。ここで一次解散し、それぞれ帰途についた。
MRC75周年記念例会は、無事終了した。幹事の皆さん大変ありがとうございました。今回は先達のお手伝いをさせて頂いて感謝です。ありがとうございました。
MRC100周年を目指して発展していくことを期待します。
ありがとうございました MRC万歳
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コース
1 日目 晴れ
南海難波駅(8:13)=[南海高野線橋本行き急行]=橋本(9:04/9:13)=[高野山行き]=
極楽橋(9:56/10:05)=[高野山ケーブル]=高野山(10:00/10:16)
=[南海林間バス高野山内線]=女人堂(10:22/10:38)~弁天岳(11:11/11:20)~
大門口女人堂跡~龍神口女人堂跡・大門(11:47/昼食/12:21)~
相ノ浦口女人堂跡(13:12/13:20)~大滝口女人堂跡・轆轤峠(13:39/13:48)~
円通律寺(14:11)~大峰口女人堂跡・弥勒峠(14:32)~奥ノ院BS(15:07/15:17)~
弘法大師御廟(15:32/15:41)~パナソニック御廟~奥ノ院BS(16:10/16:19)=[バス]=
浪切不動前BS(16:28) 南院 (投宿)
2 日目 晴れ
南院(6:30/お勤め/7:15)・朝食・支度(8:05)~[うろうろ]~BS(8:45/9:02)=[バス]=
奥の院BS(9:10)〜弘法大師御廟前(9:20/9:30〜分岐(9:36)~摩尼山登山口(9:45)~
摩尼峠(9:59)~摩尼山(10:20/10:32)〜黒河峠(11:03)〜楊柳山(11:30/昼食/11:59)~
子継峠(12:28/12:39)~十字路(13:04/13:08)〜転軸山(13:25/13:36)〜
登山口・池(13:57)~女人道別れ(14:00)~中之橋霊園〜一ノ橋BS(14:23/14:29)
=[バス]=高野山駅(14:47) (一次解散)
高野山(15:00)=[高野山ケーブル]=極楽橋(15:07/15:37=[橋本行き]=橋本(16:18/16:32)
=[難波行き急行]=難波駅(17:22)
参加者 17名 (10/15:17名 10/16:13名)
実施日 202/.10/15~10/16
MRC mizoguti otomo
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