竹田城跡 
かたの 山歩会 Vol.1  
竹田城跡(虎臥山) 標高354m 立雲峡
 4月10日、かたの山歩会で竹田城跡、立雲峡、天滝と清住かたくり園に行った。今回は趣を少し変えて観光を取り入れたコースになった。

 朝6時45分に交野市を出発。高速道を走り途中西紀SAで休憩して和田山ICで降り、竹田駅近くの竹田まちなか観光駐車場へ。9時前に竹田まちなか観光駐車場に到着した。頭上に竹田城跡が見えていてお城があればと思うとわくわくしてくる。

竹田城跡 竹田駅前より

竹田城跡 竹田駅前駐車場にて

竹田城跡へ
 前回、2010年1月に登ったときは、JR竹田駅の裏側から駅裏登山道を観光案内所で紹介して頂いて登ったが、今回はそのコースは通行止で表米神社登山道を登った。前回来た時には観光案内所が必死で観光案内してたくさんの観光客を迎えようと必死だったが、PRが行き過ぎたのかいや、竹田城跡が本当に価値ある史跡になり多くの観光客がおしかけたのだろう。

 駅裏登山道は現在コース整備中とかで、今回の米表神社登山道も最近整備されたような道で出来たばかりだ。崖崩れのあった沢だろうが痛ましい感じだ。植樹も進んでいるが一日も早く自然が戻る山になってほしいものだ。

竹田城跡へ 正面は表米神社

竹田城跡へ表米神社登山道を行く

竹田城跡へ

竹田城跡へ

ミツバツツジ

竹田城跡へ
 にわか造りの階段道を登ること30分足らずで大手門に続く車道に出た。車道をしばらく行くと、大手門へ続く登り口に今までなかった料金所が建っていた。観光権300円を支払って大手門へと登って行った。

 竹田城跡の素晴らしい遺構と満開の桜を体で感じながら、昔の人は偉かったと思った。本丸へは安全上の関係で登れなかったのが少し残念だった。

 竹田城は今から570年前の1443年に完成したそうだ。城は着手から12年もかかって完成したという。1600年関ヶ原の戦の年に竹田城は廃城に、1943年国史跡に指定される。1980年石垣復元工事が終わり、1989年に「天と地と」の撮影ロケ現場になり、2006年には日本百名城に選定された。(年代は、朝来市役所の案内パンフレットより引用した。)

 今回は、竹田城跡に9時40分とかなり早く到着したが、それでも多くの観光客がおしよせていてなかなかゆっくり出来ない状況になっている。大自然の中の山城の遺構をゆっくり干渉したかったが今や、大阪城や姫路城などと同じになってきた。

竹田城跡へ

竹田城跡 竹田城址の碑

竹田城跡

竹田城跡

竹田城跡

竹田城跡

竹田城跡

竹田城跡

竹田城跡

竹田城跡にて(写真:山歩会S氏提供)

満開のさくら

竹田城跡

竹田城跡

竹田城跡

竹田城跡
竹田城跡

竹田城跡からの展望

竹田城跡

竹田城跡

竹田城跡

竹田城跡

竹田城跡

竹田城跡

竹田城跡

竹田城跡からの展望
 竹田城跡の散策コースは一方通行になっていて少し後ろ髪を引かれながら下山道を車道まで下り、往路の登山道を下った。

 今度は、天空の城と呼ばれる所以の展望台の立雲峡にバスで向かった。バスで竹田城跡の反対側の立雲峡までバスで10分ほどだ。

 立雲峡に着くと桜まつりが行なわれていて、というか看板アーチがあっただけだが行なわれていた。さっそく雲上の城を桜の花を雲海に見立てて眺めた。わずかに霞かPM2.5か分からないがくっきりした天空の城はそれなりにしか見えなかった。そんな訳で残念ながら写真は何枚か撮影したが撮影技術もあっていまいちうまく撮れなかった。

立雲峡桜まつり

立雲峡桜まつり

立雲峡桜まつり

竹田城跡 立雲峡より

立雲峡から竹田城跡を眺望、写真撮影

竹田城跡 立雲峡より

竹田城跡 立雲峡より

竹田城跡 立雲峡より
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天滝 清住かたくり園へ

コース
 交野(6:45)=[バス]=西紀SA(8:03/8:13)=和田山IC(11:34)=
竹田まちなか観光駐車場(8:55/9:02)〜表米神社(9:13)〜竹田城跡(9:40/10:20)〜
駐車場(10:44/10:47)=[バス]=立雲峡(10:57/11:18)=[バス]=
天滝駐車場(12:17/昼食/12:38)=登山口(12:45/12:48)〜天滝(13:18/13:37)〜
登山口(14:05)=[バス]=但馬のまほろば(14:50/15:05)=
清住かたくり園(15:37/散策/16:17)=達身寺(16:20/16:28)=
西宮名塩SA(17:28/17:43)=交野(18:26)

天 候  晴れのち曇り
参加者 15名 
実施日 2014.04.10